ザルツブルク移籍目前の川村拓夢。ターニングポイントは愛媛FC時代
また一人、有望な若手プレーヤーが海を渡る。
サンフレッチェ広島の中核を担う24歳のボランチ、川村拓夢――。日本代表として先の2026年北中米ワールドカップ、アジア2次予選シリア戦でも出場した彼は6月15日の東京ヴェルディ戦後にチームを離れた。かつて南野拓実らも在籍したオーストリア1部の強豪ザルツブルクへの移籍がカウントダウンに入っており、メディカルチェックを済ませてから正式発表になる見通しだ。
サンフレッチェの育成組織出身で、尊敬する青山敏弘のようにクラブのバンディエラになることを目標としていた。しかし昨年6月にA代表に初招集され、元日のタイ代表との国際親善試合では代表初ゴールを決めるなど評価を高めていくなかで、少しずつ心境にも変化が表れていた。
1月末にサンフレッチェの宮崎キャンプを訪れてインタビューした際、彼はこのように口にしていた。
「チャンスがあれば海外でという気持ちは正直あります。ただ本当にサンフレッチェは僕の人生の大切な一部。将来戻ってきてクラブに還元することだってできると思っているので」
欧州でプレーする選手が大半を占めるA代表で一緒に活動していけば、刺激を受けるのは自然の流れ。8月には25歳になり、もはや若手とは呼べない年齢になるだけに欧州に行くなら今夏だと筆者も思っていた。海外で活躍していずれ「大切な」サンフレッチェに帰還することを目標に置いているのだろう。
川村を一言で表現するなら、得点力のあるボランチ。
利き足の左足から繰り出すシュートは実にパンチ力があり、球際に強く、運動量も多い。守備を精力的にこなしつつ攻撃にどんどんと絡んでいく現代的な中盤だと言っていい。
ターニングポイントになったのが、プロ2年目の2019年から3シーズンに渡ってプレーした武者修行先のJ2愛媛FC時代。現在はサガン鳥栖で指揮を執る川井健太監督のもとでシャドーとして起用されたことで、攻撃性が開花していく。
「中学生(ジュニアユース)のときは、トップチームが3バックでボランチの一枚が落ちてビルドアップに加わる可変式だったので、僕も落ちて縦パスを含めてパスでリズムをつくるタイプの選手でした。プロに上がった1年目はセンターバックをやっていたのに、愛媛に行ってからは川井さんにシャドーで使ってもらって、自分の新しい部分が出てくるようになりました。一生懸命やっていたら、いつの間にかゴールも獲れるようになっていったんです。あの愛媛での3年間がなければ正直、プロのサッカー選手としてやれていなかったんじゃないかって思いますね」
打開してシュートまで持っていく力。そして得点力そのものも磨かれ、川井監督が去った21年シーズンには8ゴールをマークしている。
プレースタイルのみならず、プロの姿勢とは何かを考えさせられる時間にもなった。ベテランで元日本代表の山瀬功治(現在はJ2レノファ山口)のサッカーに対する取り組み方に少なからずとも影響を受けている。
「ピッチ外の準備もそうですけど、最後まで自主練する姿を見ていて勉強になりました。40歳近くなってもこれだけできるのは、ここまでやっているからなんだと。練習後も含めてしっかりやるという自分の今につながっています」
心技体すべてを成長させて翌年、満を持してサンフレッチェに復帰。ケガで出遅れたものの、ミヒャエル・スキッベ監督からの期待は大きかった。ボランチとして愛媛時代に培った攻撃性を活かしつつ、守備でもバリバリ働くボックストゥボックスぶりをいかんなく発揮するようになり、復帰1年目でルヴァンカップ優勝にも大きく貢献する。森保一監督の目に留まるのも、もはや時間の問題であった。
吸収力が高く、新しい環境をしっかりと成長の場にできるのが川村というプレーヤーである。ザルツブルクで揉まれていくことで、自分の可能性をさらに広げていくに違いない。