第269回 17歳でのプロ契約 ~ホルヘ・ヒラノVol.4~
日系人としてペルーで生まれ育ったホルヘ・ヒラノの話を聞いていてまず感じたのは、同じ南米大陸のブラジルとの差異である。
ブラジルの日本人移民たちは長らく、フッチボウ――サッカーと距離を置いていた。かつてサッカーを愛するのは主として貧しく、学のない人々だった。ブラジル人として国際サッカー連盟(FIFA)の会長となったジョアン・アベランジェが水泳、水球の選手だったことはその象徴である。日本人移民たちは、ブラジルに日本を持ち込み、子どもたちに野球、柔道をやらせた。老いた日系人たちは、プレーするという意味の動詞「jogar」を「投げる」と訳す。これは柔道の影響だ。
一方、ペルーはそうではなかった。ホルヘ・ヒラノの父、日系二世の繁も熱心なサッカープレーヤーだった。
ヒラノの頭の中には、子どもの頃の父親がプレーする姿がくっきりと焼き付けられている。
「ぼくが3歳のときだったと思います。地元の祭りに、アリアンサ・リマ、LAU(ラウー、ウニベルシタリオ・デポルテス)、(スポルティング・)クリスタルがやってきたんです。父親は地元のクラブ、トレーブランカの一員としてプレーして、そうしたクラブと対戦してもひけをとらなかった」
アリアンサ・リマ、LAU、スポルティング・クリスタルは、首都リマを本拠地とするペルーの人気クラブである。
父のシュートレンジは「30~40メートル」
繁は脚が速く、俊敏な動物「ガゼル」という愛称で呼ばれていた。
「左ウイングで、両利き。無茶苦茶脚が速かった。今の選手と比べると技術的にはそれほど上手ではないかもしれない。しかし、強烈なシュートを打つことができた。あの当時の重いボールで30~40メートルの距離は彼のシュートレンジだった。どのキーパーも父のシュートを恐れていた」
今の軽くて飛ぶボールだったら、ピッチの端からでもゴールを決めることができたかもしれないよ、と笑った。
「特にLAUが父のことを欲しがった。でも、当時はサッカー選手はそれほど稼げる職業ではなかった。父の提示された条件は交通費だけ。そのとき、父はぼくを含めて3人の子どもがいました。その金額でやっていけないとプロになるのは諦めました」
ヒラノはボールの蹴り方だけ、父に教わったという。
「後は自分で工夫した。毎日、時間があればボールを蹴っていた」
前回の連載で触れたように、8歳のとき、地元の友人たちとチームを作り、試合に出るようになった。そして1973年頃から公式戦に出場している。地元の日系人たちでクラブを立ち上げたのだ。
「平野家、稲福家、比嘉家を中心とした、アソシアション・ニセイ・デメ・バイェ・デ・ウアラルというクラブ名。ぼくが13歳のときだった」
アソシアション・ニセイ・デ・バイェ・デ・ウアラルとは「ウワラル谷の(日系)二世協会」の意だ。
契約は月3000ペソ
「アマチュアリーグの3部から参加しました。当時はプロリーグは1部だけ。その下部リーグとして各地方にアマチュアリーグがありました。1年目はあまりいい成績ではなかった。2年目の74年シーズンは3部で優勝、ぼくは得点王になりました。翌75年は2部で優勝と得点王。76年は1部で優勝できなかったんですが、ぼくは得点王になりました」
アソシアション・ニセイ・デ・バイェ・デ・ウアラルのユニフォームはオレンジ色だった。74年のワールドカップ・西ドイツ大会を席巻した、ヨハン・クライフを中心とした「機械仕掛けのオレンジ」こと、オランダ代表の影響だった。
「ぼくたちのサッカーはオランダ代表と同じようにスピードを生かしてパスを繋いだ。“ティキタカ”だった」
アソシアション・ニセイ・デ・バイェ・デ・ウアラルでのプレーを見た、ウニオン・ウアラルがヒラノに声を掛けた。
ウニオン・ウアラルは、ウアラルを本拠地として1947年に設立された。76年シーズン、全16クラブで行われたペルーリーグで初優勝していた。首都リマ、カジャオ以外のクラブがプロリーグで優勝したのは初めてのことだった。
「ウニオン・ウアラルの会長がぼくの父と友だちだったんだ。契約は月3000ソルぐらいだったと思う。今の貨幣価値で言えばどのくらいになるかは分からないけれど、ペルーの平均月収の倍ぐらいだった」
17歳でのプロ契約だった。
(つづく)
田崎健太(たざき・けんた)
1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。
著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。
2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com