南アフリカW杯アジア最終予選がついにスタートしました。アウェーで行われたバーレーン戦は勝利という結果を収めることができました。結果だけをみれば、最終予選の初戦としては上々でしょう。しかし、この試合で日本代表に内在する問題点が浮き彫りになったと感じました。

 バーレーン戦のスコアは3−2でしたが、まだ攻守に渡ってチームのコンセプトがはっきりしていないように思われました。まず攻撃面。日本はセットプレーで優位性を示し、2得点を挙げました。しかし、流れの中での攻撃はまだまだ及第点とは言えませんでした。

 具体的にはタテへのボールが後方から入ったときに、前線の選手を追い越していく動きが少ないように思われます。DF内田篤人(鹿島)にはその姿勢が見えましたが、チーム全体の動きとしてはもう少し押し上げが必要だと感じました。

 守備陣は試合終了間際までいい動きをしていました。しかし、みなさんご存知のように残り3分を切ったところから相手に2点を与えてしまいました。この2失点は流れの中で奪われましたね。セットプレーで得点を奪われたのなら話は違いますが、相手の出来を見ても失点は防ぐことができたはずです。

 守備でははっきりしたプレーを心がけなければいけません。特にアウェー戦ではその重要度は増してきます。決して安易なミスをしてはいけません。パスをするのか、攻撃を遅らせるための動きをするのか、クリアをするのか。相手の実力が上になればなるほどディフェンスの決断力が問われてきます。それは組織の問題ではなく、個人の意識の問題です。

<失点は防ぐことのできたミス>

 ディフェンダーはまず何を考えなければいけないか。それはクリアすること。1つ目の失点の場面で日本選手の目の前を相手のボールが通り抜けていましたね。全員の足が止まっていました。眼前のボールは必ずクリアしにいかなければいけません。

 2点目は連係のミスから生まれたもの。パスをするのかクリアをするのか、やはりはっきりとしたプレーが求められる場面だったように思われます。

 バーレーンの気候による疲労が2失点の原因という人も中にはいますが、私はそう思わないです。相手も同じ条件で戦っているわけですから、ホーム&アウェー方式で戦う以上、環境に対応することは当然です。選手たちも同じように考えていると思います。今回の失点は単純なミスによるもの。もっと連係の精度を磨いて、ミスのないようにしていきたいですね。

 次戦はホームで行われるウズベキスタン戦。相手はヨーロッパスタイルで、縦パスを多用してくるでしょう。日本としては早い時間での得点が欲しいですね。中村俊輔(セルティック)と遠藤保仁(ガンバ大阪)にボールが収まり、サイドにいいパスが供給できるかがポイントになると思います。バーレーン戦で2つめの警告を受けた松井大輔(サンテティエンヌ)が出場停止になりますが、彼の欠場は他の選手にとってチャンスです。ホームの声援をバックにニューヒーローが出てきて欲しいですね。

<ACL敗退から学ぶべきこと>

 さて、鹿島アントラーズはアジアチャンピオンズリーグ準々決勝で敗退してしまいました。過密スケジュールでケガ人も多く、厳しいお家事情の中、選手たちはよく戦ったと思います。しかし今回の敗戦は、チームに改めて小笠原満男のタメが必要という現実を突きつけました。鹿島は今回でアジアでは5度目の準々決勝敗退です。この壁を破るためには選手の精神的な成長が必要でしょう。この敗戦を糧に課題を解決してチームがさらに強くなってほしいです。

 アントラーズはなかなか勝つことができなかった住友金属時代から、常勝軍団へ変貌してきたクラブです。もう一度、あの頃のような気持ちを思い出してクラブが一丸となって、さらなる高みを目指してもらいたいものです。

<日韓戦の復活を>

 あの頃といえば、先日韓国で90年代の日韓の両代表によるOB戦が行われました。韓国サッカー協会75周年を記念するイベントの一環として行なわれ、日本代表のメンバーに招集された私も、ソウルでかつてのライバル達と戦う機会に恵まれました。

 残念ながら私自身はケガをしていて後半途中からの出場となりました。相馬直樹と交替してDFラインに入ったのですが、井原正巳を中心にディフェンスラインを前後にコントロールし、現役時代さながらの真剣勝負を繰り広げました。足の具合が悪かったラモス(瑠偉)さんもフル出場してチームを鼓舞してくれました。90年代のあの頃を思い出しましたね。彼らとは練習をしていなくてもやろうとすることがすぐわかる。チーム全員で「勝って帰るぞ!」という気持ちも強く持って試合に臨みました。

 試合は0−1で負けてしまいましたが、非常に楽しい時間を過ごしました。私はケガのせいもあり消化不良に終わった面もありました。このような素晴らしい企画を今度はぜひ日本でやってもらいたいです。犬飼(基昭サッカー協会)会長にレセプションでそのことをお話させていただいたので、次戦は体を万全にしてフル出場を目指したいと思います。

 その場で会長とお話したことはもう一つあります。それは日韓戦の復活についてです。私達の世代は日韓戦で強くなっていった世代です。今後は両国ともアジア予選を勝ち抜くことだけでなく、いかにW杯本大会で上位に進出するか、いやW杯をどうしたらアジアで取ることができるかを考える時期に入っていくと思います。大きな目標を達成するためにも、切磋琢磨していくライバルの存在は不可欠です。近い将来、OBの交流だけでなく、現役選手がガチンコでぶつかる日韓戦が復活することを期待したいですね。


● 大野俊三(おおの・しゅんぞう)<PROFILE>
 元プロサッカー選手。1965年3月29日生まれ、千葉県船橋市出身。1983年に市立習志野高校を卒業後、住友金属工業に入社。1992年鹿島アントラーズ設立とともにプロ契約を結び、屈強のディフェンダーとして初期のアントラーズ黄金時代を支えた。京都パープルサンガに移籍したのち96年末に現役引退。その後の2年間を同クラブの指導スタッフ、普及スタッフとして過ごす。現在、鹿島ハイツスポーツプラザ(http://business2.plala.or.jp/kheights/)の総支配人としてソフト、ハード両面でのスポーツ拠点作りに励む傍ら、サッカー教室やTV解説等で多忙な日々を過ごしている。93年Jリーグベストイレブン、元日本代表。

*ZAGUEIRO(ザゲイロ)…ポルトガル語でディフェンダーの意。このコラムでは現役時代、センターバックとして最終ラインに強固な壁を作った大野氏が独自の視点でサッカー界の森羅万象について語ります。


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