引退した清原和博(オリックス)は現役通算23年間で一度も打撃三部門(首位打者、ホームラン王、打点王)のタイトルを手にすることができなかった。「無冠の帝王」の呼称はそこに由来する。

 ちなみに通算500本塁打を達成した選手は王貞治(868本)を筆頭に、野村克也(657本)、門田博光(567本)、山本浩二(536本)、清原(525本)、落合博満(510本)、張本勲(504本)、衣笠祥雄(同)と8人いるが、タイトルと無縁だったのは清原ただひとりである。

 PL学園時代の中村順司監督(現名古屋商科大監督)が朝日新聞に次のようなコメントを出していた。
「PL時代から自分の記録よりも、まずチームのためにと考える選手だった。その姿勢はプロでも一貫し、もっと自分のことを考えればタイトルに手が届くものを、といいたくなる場面もあった」

 清原は西武時代の森祇晶に始まり、東尾修、長嶋茂雄、原辰徳、堀内恒夫、中村勝広、コリンズ、大石大二郎と8人の監督の下でプレーしたが、最も彼を評価していたのは森である。その理由は「状況に応じたバッティングができる」ことであった。
 例えば1死一、二塁の場面。普通の4番打者ならスタンドに放り込むことを考える。ところが清原は最悪でもランナーを進めることを念頭に置き、外角のボールを右方向に狙い打った。「キヨほどチームのことを考えているバッターはおらん」。森はいつもそう言って清原を褒めていた。

 冒頭で「無冠の帝王」と書いたが、実は清原は隠れた大記録の持ち主である。彼は4番打者としてチームを6度、日本一に導いているのだ。この記録は長嶋茂雄の9度に次ぐ。
 個人よりもチーム。タイトルよりも優勝。清原は常にチームの利益を優先してきた。4番の仕事とは何か。それにこだわり続けた23年間だった。

<この原稿は2008年10月18日号『週刊ダイヤモンド』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから