スペインで3つ目のクラブとなったラス・パルマスは、2部とはいえリーガでも屈指の名門クラブだ。福田は07−08シーズン、この地に活躍の場を求め、念願の1部リーグ昇格を目指していた。しかし、シーズンの開幕早々に、生涯で初めての経験という右腿の肉離れを起こし、2週間後にもう一度、同じ箇所を痛めてしまう。序盤に躓いたことで、出場機会が巡ってくることは少なくなった。
 一度悪い流れにはまると、なかなか抜け出せないのが怖いところ。福田が療養中に、彼を評価してくれていた監督が成績不振を理由に解任されてしまう。後任の監督は、地元の選手を重用することで知られる人物。福田の立場はさらに厳しいものになってしまった。

「入団した時の監督は僕のことを非常に買ってくれていた。強化部長も兼任していた人で“おまえが必要だ”と言って僕を使ってくれた。しかし、次の監督は違ったんです。“日本人を使うくらいなら若いヤツを使うよ”という感じでした。途中出場の機会があっても“じゃあ、オマエに10分やるよ”と粗雑な言われ方をして、ピッチに送り出されたりしました。あれもいい経験になりましたけどね」

 苦しいシーズンを送った1年だった。しかし、FWとしての逞しさを磨くために得たものは少なくなかった。3年間戦ったスペインについて、福田は興味深い話をしてくれた。

「家族全員で闘牛を見に行ったことがあるんです。スペインの国技とよばれるものがどんなものか見てみたかった。闘牛は牛を少しずつ殺していきますよね。スペイン人はそれを皆で見て盛り上がるんです。牛に槍が刺さると“オーレッ!オーレッ!”の声が上がる。
 しかしその光景は、初めて見る僕らにとって、とても残酷なものでした。15分くらいしたところで娘は泣き出してしまった程です。
 でも僕はしっかりと見る必要があると思った。スペイン人はこういう文化を持っているんだと感じましたし、残酷なものを目の前にしても、冷静に相手を仕留めていく姿には強烈なインパクトがありました。

 スペインサッカーでもこういう光景がよく見られるんです。たとえば、3−0か4−0で勝っている試合があるとします。大量に失点した相手がもう戦意を喪失しているところでも、攻撃の手を緩めようとせず、どんどんパスを通していく。そのパスが通るたびにスタンドから“オーレッ!オーレッ!”という歓声が飛ぶ。そこまでやらなくてもいいだろうと思ってしまう程、敵が戦う気持ちをとことんなくすまで、攻め続けるのが彼らのスタイルなんです。
 牛と戦う闘牛士の姿もストライカーに似ています。大歓声の中、とどめの一撃を冷静に牛に突き刺す。彼らは自分が仕留めなければ、相手にやられてしまうわけです。いかに冷静にゴールを仕留められるか。こういう世界に触れているから、スペインのストライカーは常に落ち着いてゴールを奪うことができるのかと思いました。あの光景は点取り屋として成長していくためのヒントの一つになりました」

 他にもスペインで学んだことがある。それは「弱いところをみせない」ことだ。私生活においても、ピッチ上でも常にファイティングボーズを取り続けなければいけない。そうしなければ、闘牛場の牛のようにどんどん突き上げられてしまう。福田はそんな緊張感の中で3年間を過ごしてきた。しかも、常に結果が求められる“助っ人外国人”として。リーガ・エスパニョーラの2部に所属し、71試合で15ゴール。2シーズン目のヌマンシアではチーム得点王となる10ゴールを挙げたが、常に活躍ができたとはいえないものだった。

 しかし、ここでの奮闘が福田に次なる舞台への道を開いてくれた。ギリシャリーグ2部・イオニコスへの移籍が決定したのだ。福田にはスペインをはじめ、日本のクラブからも誘いがあったというが、最終的にはギリシャという新天地を選んだ。「最も熱心に誘ってくれて、本当に必要だと言ってくれた」ことが彼の背中を押したのだ。

 今年8月、福田はアテネに本拠地を置くイオニコスの一員としてチームに合流した。10月27日現在、イオニコスは首位と勝ち点差1で3位につけている。福田は6試合に出場し3得点を挙げ、早くもチームの中心選手として活躍している。クラブの目標は1部昇格だ。「全員が1部に上ること以外考えていない」と福田は力強く話す。昇格に必要な順位は3位以内。イオニコスはシーズン序盤ながら、しっかりとそのポジションを守っている。

「このクラブには、リベリア人、ブラジル人、フランス人、スペイン人、そして日本人がいます。もちろん地元のギリシャ人もいて多国籍な集団です。もはや当たり前のことですが、ヨーロッパのサッカーに国境は存在しない。欧州にいる限り、どこの国でやっていてもチャンスはあるんです。
 スペインとギリシャのサッカーは密接に繋がっており、行き来している選手の数も多い。リーガ・エスパニョーラの1部でやりたいという希望もあります。
 でも、今の目標は日々、自分のベストを尽くすこと。そうすることで、自分の未来は開けてくると信じています。僕の場合は目に見える成績を残す、やはり得点を挙げることが一番です」

 これまでの福田の歩みを見てくると、今までの日本人FWにはない“経験”と“冷静さ”、なにより各国でゴールを挙げてきた“実績”がある。先日、ギリシャで得点を決め、海外で奪ったゴールの数はちょうど50となった。

 04年から海外で体得してきた財産を日本サッカーに還元することはできないのだろうか。福田は「代表のユニフォームは大きなモチベーションになる」と切り出し、代表への想いを語った。

「2010年、南アフリカW杯の時、僕は32歳です。本当に経験があって、まだまだ体が動くでしょう。自分としては是非出場して、今までお世話になったパラグアイ、メキシコ、スペインとサッカーをして、その国の人たちに成長した姿を見てもらいたい。それが一つの恩返しになりますから。そのためには一度でいいから代表に呼んでもらって、自分を試して欲しいですね」

 ある日本サッカー協会幹部は憂いていた。「国内である程度の成績を収めることで、選手が満足してしまう」。海外に活躍の場を求める選手が少なくなっている中、福田ほど世界の広さを知る日本人FWはいない。世界の厳しさを知る日本人FWはいない。W杯アジア最終予選の最中、決定力不足に悩み続けている日本代表に、今こそ、福田の力が必要だ。福田がジャパンブルーのユニフォームを身に纏い、ピッチに登場する日を心待ちにしたい。


福田健二(ふくだ・けんじ)プロフィール>
1977年愛媛県新居浜市出身。千葉・習志野高校から96年に名古屋グランパスに入団。アーセン・ベンゲル監督(当時)に見出され、FWとしての才能を一気に開花させる。チームの天皇杯獲得などに貢献し、日本代表候補にも選出。2001年にFC東京、03年にはベガルタ仙台に移籍し、04年から海外へ。3カ国6チームを渡り歩き、各クラブでFWの中心選手として活躍した。04、05、06年はシーズン10得点以上を記録し、南米からヨーロッパに渡った数少ない日本人FW。今年8月からはギリシャリーグ・2部のイオニコスに移籍した。福田健二選手ブログ「kenji fukuda BLOG」http://blog.kenji-fukuda.com/





(大山暁生)


 なお、携帯サイト「二宮清純.com」では福田健二選手のコラム【さすらいのgoleador】を好評更新中です。最新コラムは「タフで激しいギリシャサッカー」。ギリシャリーグで活躍中の福田選手の声をぜひお楽しみください。

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