「もったいないですよ。だって、まだ何年もトップクラスで柔道がやれるじゃないですか。21歳でしょ、総合格闘技へ行くのは、ロンドン五輪の後でもいいでしょ。もったいない……」
 高校の柔道部時代からの付き合いがあり、現在も指導者として道衣を着ている友人が私に、そう言った。勿論、石井慧のことである。
 石井の選択が「もったいない」のかどうかは、個人の価値観によるものだと思うが、多くの柔道家が、私の友人と同じ意見のようで、それは、何よりも「柔道」が好きだからである。いまは『戦極』のリングに上がっている吉田秀彦も同じように考えていると思う。
 2002年のプロデビュー直後に吉田は私に言った。
「僕は柔道では通用しなくなった選手なんです。でも、総合(格闘技)では、こうやって戦える……不思議な世界ですよね。もし、まだ通用するんだったら僕は柔道を続けていましたよ」
 この年の4月29日に開かれた「全日本柔道選手権」、吉田はトーナメント初戦で敗退した。92年バルセロナ五輪78キロ級・金メダリストである彼は、選手としての限界を感じて青畳を去ったのだ。

 あの時、こうも言っていた。
「試合(プロデビューのホイス・グレイシー戦)の前は爆睡しましたよ。でも柔道時代は、あんまり眠れなかったですね。減量をしていたこともあるけど、やっぱり、かかるプレッシャーが違いました。その辺りはいまの方が楽ですよ」
 吉田は柔道が何よりも好きだった。だから青畳の上で燃え尽き、その後、リングに第二の人生を求めた。

 しかし、石井の場合は違う。
 言うまでもないが、柔道のトップ戦線で十二分に通用する。何しろ金メダリストになったばかりなのだ。でも石井は、柔道よりも総合格闘技に魅力を感じていた。その価値基準は、「もったいない」と口にする柔道関係者には理解しづらいものなのだろう。

 さて、石井は総合格闘技のリングで通用するのか?
「柔道の金メダリストだよ。通用しないはずがないじゃないか。当然、総合(格闘技)でも強いよ」
 多くの人が、そんなニュアンスで話す。
 私も、石井は十分な素質を持った選手だと考えている。21歳と若く、非常に将来が楽しみだ。打撃への対応も予想以上にスムースに進むのではないかと見ている。ただ、彼が成功するか否かのポイントは「自分は柔道家である」との認識を持ち続けられるかどうかに、かかっているように思う。

 国士舘大学を卒業した後、石井は、海外へ練習に出向くようだ。総合格闘技を闘う上での技術をマスターするためである。当然、打撃の練習にも精を出すことになる。だが、ここで大切なのは、何のために打撃を学ぶのかを理解しておくことだろう。
 何のために打撃のテクニックを身につける必要があるのか。それはキックボクサーになるためでも、相手をパンチでKOするためでもない。自らの勝ちパターンに持ち込むためには、相手が放つパンチやキックに対応せねばならないからである。

 総合格闘家になるにあたって、一からやり直す必要はない。「柔道のことは忘れて、総合格闘家として一から……」と強く思い過ぎる必要もない。柔道で培った武器は最大限に活かせばいい。そのために求められる練習を積むことが石井のテーマのように思う。その辺りは、6年前の吉田秀彦の取り組みが良い手本になるのではないか――。

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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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