日本シリーズをごらんになっているだろうか。実は、あまり熱心に見ていない。こんなこと、ものごころついて以来、初めてかもしれない。
 理由ははっきりしている。要するに、観る側が間延びしてしまったのである。クライマックスシリーズの2位と3位のプレーオフがあって、それから何日かあいて、その勝者(今年は両リーグとも3位チーム)と1位の決戦。それからまた、しばらく日があいて、ようやく日本シリーズである。始まったときは、すでに11月だよ。白けることおびただしい。11月は、野球シーズンではありません。10月がポストシーズンの月です。
 せっかく、首尾よく両リーグの優勝チームの対戦という日本シリーズ本来の形になったのに、なんだか待ちくたびれて気勢をそがれてしまった。明らかに、クライマックスシリーズといういびつなプレーオフ制度の弊害である。
 いやいや、第4戦の岸孝之(埼玉西武)はよかったですよ。10奪三振完封。ピッチャーに一番大切なのは、ストレートの伸びなんだということを、あらためて証明したピッチングだった。第5戦のアレックス・ラミレス(巨人)の2安打と走塁。この人が、本物のプロであることを証明した。観ればおもしろいのである。しかし、どうも、熱中しきれない。
 これは、明らかに日程編成の失敗である。プレーオフ第1、第2ステージ、日本シリーズは、間に休みを置かず続けて行うべきなのだ。しかも、セ・パでこそくに日程をずらして開催するなど論外である。そうすれば、10月末までに日本シリーズの決着がつくし、おのずからどんどん気分を盛り上げて観戦できる。なんで、こんな当たり前のことが、この国の制度ではできないのだろう。

 メジャーのワールドシリーズも、報道では視聴率がいまいちだったらしい。確かに、フィラデルフィア・フィリーズ対タンパベイ・レイズという組み合わせは地味なのかもしれない。ただ、このワールドシリーズに、私は現在の世界の野球のスタンダードを見た。
 勝ったフィリーズのエースは左腕コール・ハメルズ。特別な速球を投げるわけではない。ただし、チェンジアップが見事に鋭く、低めいっぱいに曲がり落ちる。打者はこの球に翻弄されて、ストレート、スライダーにもタイミングを狂わされる。一方のレイズのエースは右腕ジェームズ・シールズ。こちらも鋭いチェンジアップを軸に、ストレート、スライダーで組み立てる。
 彼らはランディ・ジョンソンやロジャー・クレメンスのようなド派手な剛球投手ではない。
 この両チームのエースは、現在のメジャーの先発投手のスタンダードが、おしなべてこのスタイルであることを証明していた。

 野手で言えば、フィリーズがジミー・ロリンズ、チェース・アトリーの二遊間、レイズは岩村明憲、ジェーソン・バートレットの二遊間。いずれも一球ごとにポジショニングを変え、高い守備力を誇る。打線は、フィリーズがアトリー、ライアン・ハワード、レイズはB.J.アップトンが鍵。このなかで、いかにもメジャーらしくぶっとい体から豪快なホームランを連発する特別な打者は、2冠王ハワードだけである。
 後の野手は、守備力、脚力、打力のバランスのとれた標準的なメジャーリーガーだ。(個人的には、岩村より細い体でポストシーズンにホームランを打ちまくったアップトンが好きだ。そのうちカープにきてくれよ〔笑〕)。つまり、投手、センターラインの守備力、打力と、両チームとも、現在のメジャーのスタンダードを示したワールドシリーズだったのである。

 翻って、日本シリーズはどうだろう。
 巨人は日本野球のスタンダードと言えるだろうか。決して言えませんね。だって、小笠原道大、ラミレス、李承(阿部慎之助)のクリーンアップ。先発はセス・グライシンガーで抑えはマーク・クルーンである。これは、巨人軍というよりある種のオールスターチームだ。西武はどうか。片岡易之、栗山巧の1,2番。中島裕之、中村剛也の3,4番。先発は涌井秀章、帆足和幸。確かに自前で育成した選手だ。ただ、シーズン中は、まだGG佐藤、クレイグ・ブラゼル、ヒラム・ボカチカも好調で、捕手の細川亨まで含めて、派手にホームランを連発して勝ち進んだ。いくらホームランは野球の華とはいえ、長く定着して、スタンダードとなるスタイルではあるまい。
 つまり、巨人、西武の日本シリーズは、もちろん面白い戦いだけれども、日本野球の目指すべき理念を体現しているとは言い難いのだ。

 突然こんなことを言い出したのは、日本野球と世界標準ということを、考えたいからである。メジャーは、当面、フィリーズやレイズのような発想のチーム作りが主流となるだろう。では、日本野球のスタンダードは何か? この国際化時代に、しかもWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を控えて、きわめて重要な課題だと思うが、この国では、あまり顧慮されているような形跡がない。

 ひとつの例が、代表監督選びである。理念なき迷走と呼ぶしかないものであった。
 WBCの監督は、ご承知の通り、原辰徳巨人軍監督が務めることに決まった。まあ、誰もが納得する代表監督というのはありえないだろうから、ちょうどいい落とし所ということなのだろう。それにしても、世間の顔色をうかがいながら、大人の決着をしたという印象は拭えない。

 なぜ、日本シリーズ終了まで待って、日本一チームの監督にする、というすっきりした結論にできないのだろう。もし西武が勝って、渡辺久信監督になったら、そんなに困りますか。読売が主催するというアジア予選、渡辺監督だと視聴率がガタ落ちになるだろうか。そんなことはあるまい。もし、そんなふうに思うとすれば、時代の趨勢にとり残された老経営者だけだろう。
 問題は原監督にあるのではない。選考過程である。

 加藤良三コミッショナーは、外交官としてアメリカを熟知しており、野球にも造詣が深く、メジャーリーグとも交渉のできる、今の時代にうってつけの人材として登場した。そのキャリアからして、識見も決断力も交渉力もあるだろう、という期待感は、相当高いものがあった。
 12球団の態度もいかがなものかと思うが、代表監督選考については、一回会合を開いてコミッショナーに一任としてしまう。一任されたコミッショナーは体制検討会議なるものを招集する。ご存知のように、王貞治特別顧問に、野村克也(東北楽天監督)、高田繁(東京ヤクルト監督)、星野仙一、野村謙二郎の各氏というメンバーである。

 コミッショナーが座長格に指名した王貞治さんが、現役監督のWBC監督は難しいという意見の持ち主であることは、周知の事実である。で、野村克也さんの「出来レース発言」(事実上、星野監督で決まっている)、さらにイチローの「現役監督を除外するのでは本気で勝とうとしているとは思えない」という発言で、右往左往。王さんも一度は「日本一監督で決めるのがすっきりする」とはおっしゃったが、10月27日の第2回体制検討会議で加藤コミッショナーが「原監督がベストだろう」と推薦し、就任要請が決まったという。

 この決定過程でひっかかる点がいくつかある。まず、王さんを座長格とした時点で、事実上、現役監督は排除されていたことになる。そして、それがコミッショナーの見解だということ(少なくとも王さんの考えに共感しているということ)だ。そのことが、即ち星野監督を意味する、と言うつもりはない。星野氏以外にも、この条件を満たす人は数多くいる。
「日本一になった監督が一番すっきりする」という議論は、例えばイチロー発言後、高田氏もそう発言している。しかし、結果としてはほとんど顧慮されることなく、原監督に落ち着いたようだ。それがなぜなのかについて、ファンに対する説明はついになかったのではあるまいか。

 つまり、コミッショナーが一貫して自らの立場を貫いたのではなく、王さんが自説を通したわけでもない。かといって体制検討会議のメンバーによるなんらかの票決が行われた形跡もない。言い換えれば、たしかにコミッショナーは独断専行はしなかった。しかし、結果として、大人が談合して、最終的にはコミッショナー推薦で落ち着くべきところに落ち着かせた、という形である。事実上、会議は機能しなかったといえるのではないか。

 もう一つ言えることがある。多くの野球ファンが漠然と期待した名前が二つあると思うのだ。一人は野村克也。もう一人は落合博満(中日監督)。皆さんの周りでも、この二人のいずれかに期待する意見は多かったのではありませんか。
 つまり、ファンの常識的な期待感は、この二人にあったはずなのである。しかし、体制検討会議で、この二人について議論が交わされたという報道はない(わずかに野村氏が、「王が、どう? と一言聞いてきたけど」という証言をしたのみ)。別に、この二人のどちらかにすべきだと言っているのではない。ただ、本格的に検討されなかったということは、加藤コミッショナーのとりしきった球界政治が、ファンの日常感覚からは離れていたことになる、と申し上げているのである。
 そりゃ、野村監督だって、21勝4敗という大エース(岩隈久志)と首位打者(リック・ショート)までいながら、5位に低迷したのだから、必ずしも皆様が評価なさるほど有能とはいえないのかもしれない。落合監督だって、今季は下手すりゃ4位転落もありえる苦戦だった。

 野球というゲームにおいて、監督の力量がどこまで勝敗に関わるのか、それを計量することはきわめて難しい。単純に、もっとも優秀な監督を日本代表監督にする、という選考基準を立てることは不可能だ。
 だとすれば、原監督という選択肢も、もちろんありえる。繰り返すが、問題は結論ではなく、過程にあるのだ。

 せっかく、コミッショナーがこの人はと認める球界の有識者を5人も招集したのである。まずやるべきことは、これから日本が世界と戦っていく上で、どのような野球を目指すべきなのか、日本野球のスタンダードをどのように設定すべきなのか、という議論だろう。まずそれを策定した上で、では、そのスタンダードに照らして、現時点で誰がもっとふさわしい監督なのか、というところへ議論を運ぶべきなのだ。そのうえで、何人かの候補者を出し、メンバーで評決する。その選考過程を公開すれば、ファンも選手も12球団も納得できたはずである。

 そのような議論の過程が、まるで見えない決着は、球界経営の論理と、ファンや選手の感覚が、乖離してしまっている証左である。クライマックスシリーズの仕組みにしろ、その日程にしろ、だから、われわれ観る側が置き去りにされている感じが拭えないのである。
 コミッショナーとは、本来そのような問題について、調整し、交渉し、決断する人材のはずである。
 求められているのは、経営の識見であり、日本野球の未来図を描く構想力なのだ。


上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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