二宮: ここまでは五輪を巡るスポーツビジネスや政治の問題など、グローバルの観点から話を進めてきました。最後は日本国内に目を向けたいと思います。日本のスポーツの将来を考えた時、最大の問題は少子高齢化。競技レベルの維持、向上はもちろん、それを支えるスポーツメーカーにとっても試練の時代がやってくるのではないでしょうか。


 純競技でトップを目指す

上治: 五輪前にミズノに対するブランドイメージをリサーチしたところ、「ミズノ=体育会系、汗」。原宿などにショップも出していますが、残念ながらファッショナブルというイメージはあまり持っていただけていないようです。
 この点は今後の課題ではありますが、我々としても高機能、高素材のアイテムをマーケットに提供し続けたいという思いは変わっていません。少子化が進んでも、アスリートがゼロになることはないでしょう。まず、純競技の分野でトップを目指す。それが一般向けのマーケットに対してシナジー効果を生み出してくれれば、というスタンスです。そこは他社とは違うミズノのオリジナリティだと思います。

二宮: 純競技のマーケットは拡大しないまでも、大幅に縮小することはないと?
上治: そうです。このマーケットは大きな山もなければ、深い谷もない。おかげさまで高校野球のユニホーム、ヘルメット、バット、スパイクなどでミズノはトップ。高校サッカーでもスパイクはトップシェアを占めています。
 そして現在、もう1つ力を入れているのが、人々の健康志向に合わせた商品開発。ウォーキングやランニングなどをライフスタイルに取り入れる方たち向けのウェアやシューズをどんどん提案していく予定です。

 スポーツ用品店の灯を消すな

二宮: 少子高齢化とともに広がってきたのが、都市と地方の格差です。スポーツで地域を活性化しようという動きは増えていますが、残念ながら地方のマーケットは縮小傾向にあるのではないでしょうか。
上治: そこは我々としても困っている部分です。昔はどの商店街にもスポーツ用品店がありました。お店のオヤジは商品を売るだけでなく、手入れや保管の仕方も子どもたちに教えてくれた。
 ところが今は郊外の大型ショッピングセンターができて、そういった商店街がすたれてしまっています。オヤジの跡継ぎも都会に行ってしまって、古くからミズノの商品を支えていただいたお店がどんどん閉店する事態が生じている。一方、ショッピングセンターのスポーツ用品売り場は競技ごとにブランドショップが入って専門化し、全体の規模としては縮小傾向です。昔はクリスマス商戦を中心に子ども用のグローブがよく売れたものですが、今では大人向けの水着やゴルフ用品の需要が多くなってしまいました。

二宮: スポーツ用品店に限らず、出張で地方の商店街を通ると、シャッターが閉まっているところが多い。地元でも対策は練られているようですが、商店街の活性化は急務ですね。
上治: スポーツ用品店がなくなっても、スポーツに取り組んでいる子どもたちは各地域にたくさんいます。彼らに高機能で安全なスポーツ用品をいかに届けるか。純競技でトップを目指す我々としては、この部分にも一生懸命、取り組んでいきたいと思っています。

 スポーツをもっと身近に

二宮: ミズノはスポーツ用品メーカーという枠にとどまらず、日本のスポーツの発展にさまざまな形で貢献してきました。長年、国内外のスポーツの現場に接してきた中で感じる日本スポーツの課題は?
上治: スポーツは身体を鍛える上でも、心を育てる上でも最適の手段。これは全世界の共通認識です。スポーツは単にトップアスリートのものだけではありません。もっと人々の生活の中で身近な存在になってほしい。そのためには我々のような民間の努力のみならず、行政の協力も必要です。文部科学省はスポーツ関連の予算を現行の約170億円から300億円に増やそうとの意向のようですが、どうせならスポーツ庁を立ち上げていただきたい。

二宮: 確かに日本には文化庁はあってもスポーツ庁がありません。スポーツ行政は学校関連だと文科省、健康増進の目的では厚生労働省と主管が分かれてしまっています。麻生太郎首相はバスケットボール協会の会長(現在は休職)。消費者庁が福田康夫前首相の鶴の一声で設立が決まったように、麻生首相にはスポーツ庁の立ち上げにもリーダーシップを発揮してほしいものです。
上治: 今年、元JOC会長の古橋廣之進さんが文化勲章を受賞されました。スポーツ選手としては初の快挙でした。五輪をはじめ、スポーツほど国民を感動させるものはないはずです。それなのに日本ではスポーツの位置づけは決して高くありません。ちなみに文化庁の年間予算は約1000億円。一刻も早くスポーツ庁が誕生し、同規模の予算を組んでいただけることを期待しています。

二宮: 日本は2016年東京五輪の招致活動中。2012年のロンドン五輪や、2014年のソチ五輪が実現した際には、イギリスのブレア首相、ロシアのプーチン大統領(いずれも当時)が最終プレゼンテーションでアピールをしました。果たして日本は誰を“顔”に立てるのか。そして何を世界へ訴えるのか。開催地の決定は2009年10月。残り1年、日本のスポーツに対する本気度が今まで以上に問われています。

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(おわり)
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