福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が体調不良と成績不振を理由に今季限りでの退任を表明した。翌日の新聞各紙には<勇退>の見出しが躍り、退任を惜しむ声が相次いだ。

 王監督に最後にインタビューしたのはWBCの直前だから2年前の2月のことだ。
 会うなり「監督、大丈夫ですか?」と私は言った。頬がげっそりと落ち、目の下にはクマができていた。傍目にも体に深刻な異変が生じていることを窺わせた。
 WBC直後、胃ガンが発覚し、全摘出手術を受けた。再びユニホームを着るのに、約4カ月の時間を要した。遠征先で体調不良を訴えることもしばしばで、代わってチーフコーチが指揮を執ることもあった。
 王監督には心から「ご苦労さま」と申し上げたい。まずは、ゆっくりと体を休めてもらいたい。

 退任発表前、王監督は夕刊紙のインタビューで注目すべき発言を行なっている。
――それにしてもONの後を受け継ぐ人材がいない。
「人材がいないというのか、育てていないというべきか。でもオリックスの大石監督のように、シーズン途中から初めて監督をやってあれだけの成績をあげている人もいるんだからね。日本の球界は監督で商売しようとするのがおかしい。長嶋さんもオレも星野もそうでしょう。米国やキューバなど他の国ではそんなことはしないだろう。もう監督で商売するような、そういう時代ではないですよ」(夕刊フジ9月17日付)

 王監督の主張は正論である。自らが身を引くことで時計の針を進めたいとの思いもあったのだろう。メジャーリーグでは名選手だから、知名度があるからという理由で指揮官のイスが回ってくることはまずない。プレーヤーの才能とマネジャーのそれは別物だと考えられているからだ。
 メジャーリーグでONに相当する選手といえばヤンキース黄金期を築き上げたベーブ・ルースとルー・ゲーリックだが、二人とも監督にはならなかった。

 興味深いデータがある。20年前、プロ野球12球団の監督の平均年齢は49.9歳だった。現在は56歳だ。
 王監督が名前を挙げた大石大二郎監督も、童顔ということもあって若く映るが、この10月で50歳になった。これだけやるのだったらもっと早く監督にしてもよかったかもしれない。
 チャンスを与えなければ伸びるものも伸びてこない。それは選手も監督も一緒だ。
 米国ではマイナーリーグで実績をあげた指揮官がメジャーリーグの監督に就任するケースが多い。
 ところが日本では2軍監督としての実績を残しても、それが1軍監督昇格に結びつくことは稀である。監督としてトレーニングする場があまりにも少ないのが日本プロ野球の実状だ。

 数少ない成功例として監督就任1年目でチームを日本一に導いた埼玉西武ライオンズ・渡辺久信監督のケースをあげたい。彼は現役引退後、台湾プロ野球でコーチ経験を積み、昨季は古巣で2軍監督を務めた。
 43歳と現役監督では最年少ながら人心掌握に長け、好采配を見せた背景には異国での苦労や指揮官としての下積みがあったからだと思われる。
 そこに目を付けたフロントのヒット人事だったとも言える。

<この原稿は2008年12日号『フィナンシャルジャパン』に掲載されたものです>

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