王者スペインを圧倒――日本に一番期待
まずは前日飛び込んできた衝撃のニュースについて。事実ならば、彼のサッカー人生はほぼ終わったというしかない。仮に本人が続行を望んだとしても、サッカー界として断じて許さないという姿勢を見せる必要もある。ただ、事実かどうか判明するまでは、断罪は控えなければ、とも思う。一ファンとしては、嘘であってくれ、何かの間違いであってくれと祈るばかりである。
衝撃的といえば、スペインの優勝で終わったユーロも衝撃的だった。スペインが勝ったことが、ではない。イタリアが、ドイツが、フランスが、そしてイングランドでさえ、ボール保持率での劣勢を前提としたサッカーをやったからである。
08年のユーロ、10年のW杯、12年のユーロと主要大会3連覇をした当時のスペインも強かったし、美しかった。ただ、あのころスペインと戦い、結果敗れた強豪たちは、スペインを押し込むこと、圧倒することを前提としたサッカーをやっていた。
今回は違った。どこも勝負にはこだわっていたが、内容に対するこだわりを、端から捨ててしまっている対戦相手のなんと多かったことか。先週、21世紀のサッカーは“ボール・ポゼッション”と“ゲーゲン・プレス”という概念の激突だ、といったことを書いたが、今回のユーロに限っていうならば、スペイン対その他の対決でさえあった。
長いサッカーの歴史において、これほどまでに相手側の敬意、畏怖の念をかきたてたのは、わたしの知る限り、黄金時代のブラジルのみ、である。内容勝負を捨てて勝敗のみにこだわる自国の代表を目にした若い世代にとって、これからのスペインは古い世代にとってのブラジルのような存在になっていくだろう。しばらくの間、欧州からスペインを脅かす存在は現れてこないかもしれない。
これまた先週書いたことに関連してくるのだが、スペインの強さは、他国に比べると同じ方向を指向し、成長してきた選手の集合体にあること、だとわたしは思っている。他の国々がいい選手の選抜チームであるのに対し、スペインだけは、A代表から逆算された育成と選抜がなされているようにも見える。
いうまでもなく、スペイン代表の代名詞でもある“ティキタカ”は、00年代のバルセロナによって築かれたイメージである。そして、グアルディオラの師匠でもあるクライフは、「なぜあれほど繊細なサッカーができるのか」という問いに対し、カタルーニャの民族性を理由に挙げていた。スペインの他の地域に比べ、カタルーニャは緻密で、正確で、几帳面な一面がある。ゆえに、可能だったのだ、と。
結果的に、バルサが一世を風靡したことで、決して緻密ではないはずの他の地域でも、バルサ風のサッカーは浸透していった。加えての国際大会の連続優勝。イニエスタら“第一黄金期”と違い、王者になることを疑わない現代の“第二世代”は、以前以上の無敵ぶりを見せるかもしれない。
では、今後スペインを内容で圧倒しようとする国は現れるのか。南米、中米には可能性がある。だが、個人的に一番期待しているのは、カタルーニャ以上に緻密で、正確で、几帳面な国民性を持つ国――日本である。
時間はかかる。しかし、多くの国が内容でスペインを圧倒することを諦めつつある中、本気でそれを狙い、実現することができれば、その価値は計り知れないほど大きい。いつか、内容で世界に衝撃を与える日本を、わたしはみたい。
<この原稿は24年7月18日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>