スペインらしさが21世紀の論争に一石投じる
サッカーには、時が経たなければ見えてこないものがある。
70年W杯でピークを迎えたブラジルの時代、魔術師たちの時代は、74年、オランダとクライフの出現によって終わった。サッカーは、武将たちの一騎打ちから、集団歩兵戦法へと変わった。
オランダに衝撃的な敗戦を喫したブラジルは、一時、欧州スタイルに舵(かじ)を切りかける。結果、78年W杯では無敗だったものの、タイトルを逃したこと、またスタイルが国民に受けいれられなかったことで、後任のテレ・サンターナは再び個を前面に押し出すサッカーを選択する。
ジーコ、ソクラテスら、いわゆる“黄金のカルテット”を擁したチームは“バグンサ・オルガニザータ(組織化された混乱)”とも評された、奇跡のように美しいサッカーを展開した。優勝したのはイタリアだったが、愛されたのはブラジルだった。
この後しばらくの間、世界のサッカーは2つの命題の間で揺れ動く。マラドーナが勝てば「個人」に傾き、西ドイツが、あるいはACミランのゾーン・プレスが脚光を浴びれば「組織」論者が勢いを増した。21世紀の途中までは、「個人」対「組織」がサッカー界における最大の論点だった。
だが、00年代の中盤以降、サッカー界には新たな論点が加わった。「ポゼッション」である。そして、“創始者”たるグアルディオラがバイエルンの監督に就任したことで、対抗手段としての「ゲーゲン・プレス」が誕生した。以来現在に至るまで続いてきたポゼッション対ゲーゲン・プレスの論争は、バルセロナやスペイン代表が一時の勢いを失ったことで、やや後者有利に傾きつつあった――というのが、今回のユーロを迎えるに当たっての個人的な印象だった。
ただ、そんな流れも今大会を境にまた変わるかもしれない。とにかく、スペインが強い。イタリアを相手にせず、地元ドイツに競り勝ち、準決勝ではW杯準優勝のフランス相手に最後まで主導権を握り続けた。16歳のヤマルというとてつもない才能も出現した。2年前のW杯で日本が勝ったのが信じられないほど、いまのスペインは強い。
カタールでの彼らが日本に敗れたのは、他のチームならば単純に蹴っておくところをつなごうとしたからだった。多くの人は「だからつなぐべきではない」と考えたが、スペイン人は違ったらしい。彼らは、もっとつなげるようになろうとした。どれほど激しいプレスであっても綺麗にかいくぐり、フィニッシュまで持っていくサッカーを志向し続けた。そこに“飛び道具”ともいうべきとんでもない才能が加わったのだから、強くないわけがない。
今大会のスペインを見ていて強く感じるのは、他のチームが“いい選手”の集合体であるのに対し、スペインは“スペインらしい選手”を集めているということ。言い方を変えると、すべての選手が共通する言語を持っているように感じられる。
しかも、チームを率いているのは、東京五輪の監督だったデラフエンテ。バルセロナではなく、バスク出身の監督であってもああいうサッカーができていることには、衝撃さえ覚える。かつて、クライフのサッカーを誰よりも執拗に攻撃していたのは、バスク出身のクレメンテ代表監督だったからだ。
おそらく、今後しばらくは誰が監督になろうとも、スペインの方向性がブレることはない。彼らが結果を残せば、21世紀の論争はまた新たな段階に足を踏み入れることになろう。
<この原稿は24年7月11日付「スポ-ツニッポン」に掲載されています>