今年は前期、後期ともに優勝し、さらに石川ミリオンスターズとの地区チャンピオンシップ、群馬ダイヤモンドペガサスとのリーグチャンピオンシップでは一つも星を落とすことなく優勝しました。4度も胴上げされ、本当に感無量でしたね。また、独立リーグ日本一を決定する四国・九州アイランドリーグとのチャンピオンシップでは優勝にはあと一歩届きませんでしたが、2連敗の後に2連勝、最終戦も延長にもつれこむ大接戦を演じました。選手たちは本当によくやったな、と思っていますし、いいシーズンを送ることができたと感じています。
 さらに10月30日には待ちに待った朗報が届きました。2年間、チームの主砲として大車輪の活躍を見せた野原祐也(大宮東高−国士舘大)が阪神から育成枠ながらも指名を受けたのです。1年目からこのリーグでNPBに行けるのは野原しかいない、と感じていたくらいの逸材。少々、寂しさはあるものの、やはり彼の夢が叶ったわけですから、嬉しいですね。

 成績だけを見れば、打率.412、75打点、14本塁打を記録し、打率と本塁打の2冠を獲った昨季の方が目立ったでしょう。今季は打率.368、45打点、7本塁打ですから、全て昨季を下回っています。

 昨季との一番の違いはリーグのレベルが挙げられると思います。野原のスイングスピードは当初からプロ並みでしたが、やはり対戦するピッチャーのレベルが低いことで、いい成績を残してもNPBとしては判断しかねたのでしょう。加えて、昨季の富山には爆発的な打撃力がありました。草島諭(高岡一高−富山国際大)、野原、井野口祐介(桐生商高−平成国際大−富山−群馬)、宮地克彦(福岡ソフトバンク2軍育成担当コーチ)と4人もの主軸打者がいましたから、野原もその中の一人でしかなかったのです。

 しかし、今季は野原一人。厳しいマーク攻めにあうのは目に見えていました。そのうえ昨季とは比べものにならないほどピッチャーのレベルも上がりましたので、なかなか簡単には打たせてもらえなかったのです。その中で無冠ながら全部門でベスト10入りを果たしたことが、評価されたのでしょう。打つだけでなく、意外にも走れる選手だということも大きかったと思います。昨季は5盗塁とベスト10に入りませんでしたが、今季は12盗塁を成功させ、リーグ4位タイの成績を残しました。

 また、阪神が野原を指名した理由は技術だけではないと感じています。野原は誠実な男です。バッターボックスに入る際には毎回、必ず一礼をします。普段の挨拶もきちんとしていますし、練習態度も実にまじめです。試合でもたとえ内野ゴロに打ち取られても、諦めずに一塁へヘッドスライディングするのです。スカウトはこうした人間的な面や野球に対するひたむきさにも魅力を感じたのだと思います。最初は2軍からのスタートですが、そこには何年経っても支配下登録されず、ダレてしまっている選手もいます。そうした選手にとっても、野原の存在はいい刺激になるでしょうね。

 今後の課題としては細やかな野球ができるようになること。もちろん、これまで通りバットを思いっきり振ってフルスイングすることも重要ですが、それだけではNPBでは通用しません。配球の読みやモーションを盗むなど、場面、場面に即した対応力を見につけていってほしいですね。

 野原には「いつかは1軍に上がりたい」などというぼやけた目標設定はするな、と言ってあります。短いスパンでの目標設定を行い、一つ一つクリアしていくようでなければ、契約期間の3年間はあっという間に過ぎてしまうからです。先述したようにNPBではがむしゃらさだけでは上には上がれません。単に突っ走っても、野原自身がこれまで経験してきたように、ケガでシーズンを棒にふってしまいます。一つ一つ段階を踏みながら、確実に課題をクリアしていくことが重要なのです。

 BCリーグでは有名となった“富山のおかわりくん”というニックネーム通り、野原の食欲は並はずれています。なんと1食に4合ものご飯をたいらげてしまうのです。私がとんかつ屋に連れて行った際には、なんと6杯もおかわりをしました。といっても、とんかつではなく、おかわり自由のご飯だけ。ご飯が好物であることはもちろんですが、これも私に気をつかってのこと。彼の人間性が垣間見れた出来事でした。

 BCリーグでは随一の長距離砲だった野原ですが、NPBでは中距離打者としての活躍に期待しています。アベレージはもちろんですが、走塁にも磨きをかけてほしいですね。あの体型でバンバン盗塁を決めたら、きっと観客は観ていて楽しいでしょう。早く支配下登録され、甲子園の熱狂的な阪神ファンを沸かせてほしいと思います。


鈴木康友(すずき・やすとも)プロフィール>:富山サンダーバーズ監督
1959年7月6日、奈良県出身。天理高から77年にドラフト5位で巨人に指名され、翌年入団。その後、西武、中日に移籍し、90年シーズン途中に再び西武へ。主に守備固めとして活躍し、92年に引退。その後、西武、巨人、オリックスのコーチに就任。05年より茨城ゴールデンゴールズでコーチを務め、07年より富山サンダーバーズ初代監督に就任した。


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