興梠慎三は常に興梠慎三であり続けた
名ストライカーがスパイクを脱ぐ。
浦和レッズの元日本代表FW興梠慎三が今シーズン限りで現役を引退することが、38歳のバースデーとなる7月31日に発表された。
宮崎・鵬翔高から2005年に鹿島アントラーズに加入し、リーグ3連覇(07、08、09年)に貢献。13年、浦和レッズに移籍してからもACLを2度制覇するなど、キャリアを通じて多くのタイトルを手にしてきた。鹿島で8年、浦和で11年、22年に期限付き移籍でプレーしたコンサドーレ札幌で1年。J1通算168得点(8月1日現在)は大久保嘉人の191得点に次ぐ歴代2位の記録であり、12年からの9年連続2ケタゴールは歴代最長である。
何でもできるストライカー。そんな印象が強い。
身体能力がずば抜けていて、シュート技術も高い。裏に抜けてよし、収めてよし、仕掛けてよし、周りを活かしてよし。相手からすればやっかい極まりない存在だったはずである。
思い出すのはキャリアハイとなるリーグ戦20ゴールを叩き出した2017年シーズンのこと。4月7日のホーム、ベガルタ仙台戦でハットトリックをマークした彼の充実ぶりを直に見ておきたいと思い、16日味の素スタジアムでのFC東京戦を取材した。
彼らしいゴールだった。前半14分、センターサークル付近でラフェエル・シルバがボールを前に持ち出すや否や、トップギアに上げて膨らみを持たせる動きからスルーパスを呼び込む。ペナルティーエリアに入って相手センターバックに追いつかれる前にGKの動きも見ながら左足で流し込んだ。一発で仕留めるまさに職人芸であった。ACLとの連戦のなか、浦和はこの1点を守って勝利している。
「あのタイミングで打たないと相手に取られてしまうし、ボテボテのシュートだけどいいコースに飛んでくれた(笑)。最近は大量得点で勝った試合が多かった。見ている人からすれば物足りなく感じるかもしれないけど、リードを守って1-0で勝つというのも一つの理想だから」
チームを勝たせる働きこそがストライカーの本分だという確固たるポリシーが彼にはあった。鹿島でも浦和でも札幌でも、そうだった。ゴールを決めても勝利を手にできなければ硬い表情を崩さないエースがいた。
Jでこれほどの実績を誇りながらA代表ではポジションを奪えず、ワールドカップとは無縁だった。それでも2016年リオ五輪に出場するU-23日本代表のオーバーエイジ(OA)に選出され、大きな注目を集めた。
手倉森誠監督の書面によるコメントは、リスペクトに溢れていた。
「興梠選手はしなやかさと、繰り返し野性味を発揮し続けられるタフさがあります。ポストプレーも、裏へ抜け出すプレーも、引いた相手に対しても、カウンター攻撃にも適応できます。間違いなくリオ五輪で、チームに攻撃のバリエーションを増やせる選手です。身体能力のある相手にも彼のしなやかさは効果を発揮するでしょう。
プロサッカー選手になって以来、鹿島アントラーズのため、浦和レッズのために頑張ってきた興梠選手に、このタイミングで日本のために輝いてほしいと思います」
プレーの万能ぶりを列挙しつつ、鹿島や浦和のために「頑張ってきた」とわざわざ記している。チームの勝利にこだわって積み上げてきた興梠の実績を何よりも評価していた。
しかしながらリオ五輪は1勝1分け1敗でグループリーグ敗退に終わり、チームを勝ち上がらせることはできなかった。指揮官の思いに応えられなかった悔しさが残ったに違いなかった。
様々なことを糧にしてコンスタントな活躍につなげていくのが興梠の良さでもある。リオ五輪の翌年に、ACLを制し、J1キャリアハイの20得点を挙げたあの17年シーズンがあった。しなやかに、タフに、チームの勝利のために。興梠慎三は常に興梠慎三であり続けた。23年5月のACL決勝でも輝きを放ち、再びビッグタイトルをチームにもたらした。
プロ20年の締めくくりとなるシーズン。後半戦において彼の出番はきっとあるはずだ。いまだ健在の職人芸を、しっかりと目に焼きつけておきたい。