「(監督として)日本一になった経験もあるし、人間的にも申し分ない」
 巨人・原辰徳監督が第2回WBC日本代表監督に就任する前、王貞治コミッショナー特別顧問が代表監督に推薦していたのが、先頃、野球殿堂入りを果たした若松勉だった。若松はヤクルト監督時代の2001年、日本一を達成している。

 しかし王顧問の提案は一顧だにされなかった。内情を知る関係者は、声を潜めてこう話す。
「要するに華がないということでしょう。WBCの東京ラウンドを主催する読売新聞社が最初に考えていたのは星野仙一北京五輪代表監督の横滑り。しかし、これは世間から猛反発を浴び、イチローも不支持を表明したことで、星野も降りざるを得なくなった。
 そうなると次の策は、手駒の原を使うこと。星野の線が消えた段階で、選択肢は原しかなくなったんです。
 王さんの提案なら、普通だったらもっと大々的に報道されたはずですよ。しかし、読売グループをはじめ、どのメディアもあまり積極的には報じなかった。“若松じゃWBCが盛り上がらない”という共通認識があったからです。
 若松が代表監督に就任するしないはともかくとして、せっかくの王さんの提案なのだから、WBC体制検討会議で文字通り検討してもよかったと思いますけどね」

 通算打率3割1分9厘。これは4000打数以上のバッターの中では日本人最高である。首位打者も2度獲得している。先述したように監督としても日本一を達成した。
 これだけの実績があれば、もっと野球界のメインストリートを歩いてもよさそうなものだが、イマイチ影が薄い。それは地味な人物ゆえか。
 若松といえば、今でも語り草になっているのがリーグ優勝を果たした直後のインタビューだ。
「ファンの皆様、本当にありがとうございます」と言うところを「ファンの皆様、本当におめでとうございます」とやってしまったのだ。飾らない人柄がにじみ出ていた。

 ヤクルトの監督を辞めて4年になる。ユニホームに未練はないのか。野球殿堂入りの記者会見で若松は「長距離の打てるスイッチヒッターを育ててみたい」と語っていた。
 メジャーリーグでは過去にミッキー・マントル、エディー・マレー、現在もチッパー・ジョーンズ、ランス・バーグマン、マーク・テシェイラら大物打ちのスイッチヒッターがたくさんいるが、日本で思い出すのはサイクルヒットを2度記録している松永浩美くらいか。
 プロ野球界では数少ない道産子選手ということもあり、「いずれは北海道に戻ってきてファイターズの監督をやってほしい」という声をよく耳にする。自身、81年には道民栄誉賞を受賞している。「小さな大打者」の今後が気になる。

<この原稿は2009年2月8日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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