「どんな人間にも、一生に一度、必ずチャンスが訪れる」。それが東北楽天・野村克也監督の口ぐせである。「問題はそれをモノにできるかどうか…」
 これは自身の経験からくるものなのだろう。南海入団後2年間、野村は1軍のゲームにはほとんど出場することができず、戦力外通告を受けたこともある。ところが3年目のオープン戦でチャンスを掴む。主戦捕手の松井淳が肩痛を理由に試合を欠場。代役として出場した野村は攻守に溌剌としたプレーを見せ、レギュラーの座を奪い取ってみせたのである。「だから、たとえオープン戦であろうとも僕はケガをしても絶対に休まなかった。今度は逆の立場になるんですから。その危機感だけでやっていたようなもんですよ」

 野村の話を聞いていて、不意に頭に浮かんだのが、今季ルーキーながら2割8分9厘、9盗塁と活躍した楽天の内野手・内村賢介だ。8月中旬、レギュラー二塁手の高須洋介が自打球を足首に受けて故障した。その間隙を突いた。野村の内村評。「2軍監督に“推薦できる選手はいるか?”と聞くと“いません”。“じゃあ足の速いのは?”“ひとりだけいます”。それが内村だったんです。実際に使ってみると、まぁ足が速い。楽天のベンチは三塁側にあるから二塁手が正面に見える。一、二塁間や二遊間、“もうアカン”というヤツをチャーッと出てきてどれだけ止めてくれたことか。プロで生き残るためには何かひとつ秀でたものを持つ。それが彼の場合は足だったということでしょう」

 周知のように内村はBCリーグ石川ミリオンスターズの出身。育成枠から這い上がってきた。身長1メートル63、65キロ。初めて彼を見た時には、失礼ながら「中学校の野球部員」かと思った。目指すは「牛若丸」の異名をとった吉田義男のような選手か。

 独立リーグ(四国・九州アイランドリーグ、BCリーグ)出身のNPB選手(08年ドラフトも含む)は現在、19人いる。今では一大勢力だ。しかし1軍に定着している選手は彼ひとりだけ。思うにNPBで「活躍する」ことより「入る」ことを目的にしている選手が多過ぎやしまいか。少ないチャンスを掴むことも、プロで生きる上での「才能」のひとつである。

<この原稿は08年12月31日付『スポーツニッポン』に掲載されています>

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