救世主になったものの心が離れた理由 ~ホルヘ・ヒラノVol.6~

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 どんな選手であれ、サッカー人生は監督との出会い、相性に左右される。

 

 監督は自らのサッカー観に合わせて選手を選び、ピッチに送り出す。そこから外れる選手は能力の多寡にかかわらず、弾かれることになる。そして監督の選択の“正誤”は試合結果で答え合わせとなる。

 

 少々厄介なのは、ほとんどのサッカークラブで選手獲得の責を担っているのは、強化担当者であることだ。強化担当者は監督の意を汲んで、選手を探す。しかし、実際に獲得できるかどうかは、選手側の事情、予算枠による。また、中長期的な視野に立つ強化担当者と目の前のシーズンで結果を出したい監督とのずれが生じることもある。

 

 ヒラノを使いこなせなかった監督

 

 1979年シーズン、ウァチョに本拠地を置くフベントゥ・ラ・パルマに移籍したホルヘ・ヒラノは、その隙間に落ちたといえる。

 

 ヒラノはこう振り返る。

「監督となったブラジル人がぼくのことを好きじゃなかった。背が低くて、サッカー選手の身体じゃないっていうんだ。たぶん半分ぐらいしか試合に出ていないと思う」

 

 監督の名前を問うと、覚えていないと顔をしかめた。

 

 フベントゥ・ラ・パルマはこのシーズンからペルー1部リーグに昇格していた。前シーズンにクラブを率いたマリオ・ゴンサルベスはパラグアイのクラブ・ナシオナルに移っていた。ゴンサルベスの後を継いだブラジル人監督に関する資料は見あたらなかった。

 

 彼は泥臭く激しく身体をぶつける選手を好んでおり、小柄で俊敏なヒラノの価値を認めなかったと思われる。ヒラノが19歳と若く経験がなかったことも理由だったかもしれない。

 

 このシーズンはファーストステージとセカンドステージに分かれていた。

 

 まず16チームが総当たりで対戦、順位を決める。上位8チームはセカンドステージの優勝決定リーグに進む。ホーム&アウェイで試合を行い、ファーストステージの上位3チームに与えられたボーナスポイントと合算して最終順位が決まる。

 

 ファーストステージは、ラ・U(ウー)ことウニベルシタリオ・デポルテス、スポルティング・クリスタル、アリアンサ・リマといったリマの強豪クラブが順当に優勝決定リーグに進んだ。ちなみにヒラノが77年シーズンに所属したウニオン・ウワラルも6位に食い込んでいる。

 

 一方、下位8チームは「降格リーグ」に回る。

 

 最下位の3チームは開始時点で勝ち点が減らされる。15位のフベントゥ・デ・パルマは「降格リーグ」に入り、勝ち点2を減算された。

 

 残留に大きく貢献したものの……

 

 このウァチョの小さなクラブはセカンドステージでも苦戦した。

 

 リーグ終了時点で、下から2番目の15位だった。ただし、勝ち点では、14位のコレヒオ・ナシオナル、最下位のレオンと並んでいた。降格は1チームのみ――。そこで、この3チームで残留を掛けたプレーオフが行われることになった。

 

 このプレーオフ前、クラブの関係者がヒラノの家を訪れた。ヒラノは試合に出られないため、練習にも参加していなかった。

 

「グラウンドに来てくれというんだ。でも、ぼくはその気はなかった。監督はぼくを見てくれない。試合にも出られないのに行く必要はないと考えていた。クラブの人間は“監督とはぼくを使うように掛け合うから”と帰って行った」

 

 彼らが帰った後、ヒラノはどうしたらいいだろうかと父の繁に相談した。すると彼は、失うものはない、とりあえず練習に行ったらどうかと助言した。ヒラノはその言葉に従うことにした。

 

「木曜日に行って練習試合に出場した。その試合は勝ったはずだ。金曜日はトレーニングで土曜日は休み。そして日曜日が試合だった。対戦相手は覚えていないが、ぼくは1得点1アシストだった。次の試合も1得点1アシスト」

 

 フベントゥ・ラ・パルマはコレヒオ・ナシオナルには敗れたものの、レオンに勝利し降格を免れた。

 

「結果的にぼくが降格を救ったんだ。試合後、監督はぼくと目を合わさず、気まずそうにしていた」

 

 クラブからは来季も契約して欲しいと言われた。しかし、ヒラノの心は、ラ・パルマにはなかった。すでに彼の目は日本に向いていた。

 

 プレーオフ前、すでにヒラノは日本リーグ1部に所属するフジタ工業クラブサッカー部のテストに参加していたのだ――。

 

(つづく)

 

 

田崎健太(たざき・けんた)

1968年3月13日京都市生まれ。ノンフィクション作家。早稲田大学法学部卒業後、小学館に入社。『週刊ポスト』編集部などを経て、1999年末に退社。

著書に『cuba ユーウツな楽園』 (アミューズブックス)、『此処ではない何処かへ 広山望の挑戦』 (幻冬舎)、『ジーコジャパン11のブラジル流方程式』 (講談社プラスα文庫)、『W杯ビジネス30年戦争』 (新潮社)、『楽天が巨人に勝つ日-スポーツビジネス下克上-』 (学研新書)、『W杯に群がる男たち―巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)、『辺境遊記』(英治出版)、『偶然完全 勝新太郎伝』(講談社)、『維新漂流 中田宏は何を見たのか』(集英社インターナショナル)、『ザ・キングファーザー』(カンゼン)、『球童 伊良部秀輝伝』(講談社 ミズノスポーツライター賞優秀賞)、『真説・長州力 1951-2018』(集英社)。『電通とFIFA サッカーに群がる男たち』(光文社新書)、『真説佐山サトル』(集英社インターナショナル)、『ドラガイ』(カンゼン)、『全身芸人』(太田出版)、『ドラヨン』(カンゼン)。最新刊は「スポーツアイデンティティ どのスポーツを選ぶかで人生は決まる」(太田出版)。

2019年より鳥取大学医学部附属病院広報誌「カニジル」編集長を務める。公式サイトは、http://www.liberdade.com

 

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