中日からFA宣言していた中村紀洋の東北楽天入りが決まった。
 入団発表の記者会見で、中村は「クライマックスシリーズに出場し、優勝して野村監督を胴上げしたい」と語った。

 過日、野村克也監督に会う機会があったので、そのことについて聞くと「彼も処世術を身に付けたということですかね」と言って苦笑していた、
 球団代表が中村と交渉するにあたり、野村監督直筆の色紙を一枚取り出した。
<高下在心>
 すべての物事が成るか否かは心がけ次第で決まる――。そういう意味なのだそうだ。
 実はノムさんの耳には、中村に関する良からぬウワサが入っていた。自分の気に入った後輩たちばかり引き連れて繁華街を飲み歩くというものだ。
 そうした行動を戒めるためにも、先の言葉を送ったというわけだ。
 それにしても、ノムさんは物知りだ。博識という意味において、球界でノムさんの右に出る者はいない。

 ノムさんが人生の師と仰ぐのが評論家の草柳大蔵(故人)である。
 ノムさんと言えば講演の名手としても知られている。あの声でボソボソとつぶやくように語るのだが、味わい深いと評判だ。
 評論家時代、野球の解説が人気を呼び、講演依頼の話が舞い込んできた。
 受けるべきか、断るべきか。迷った末に相談したのが草柳大蔵だった。
「胸を張ってやりなさい」
「でも先生、ためになる話をしないといけないんでしょう?」
「いや、そんな意識なんて全くいらんよ。野村君、キミは一介のテスト生から監督にまでなった。キミにはその経験があるじゃないか」
 そして、こう続けた。
「私たちは机の上で勉強したことを元に、知識と情報を提供するのが仕事だ。だが、あなたは違う。他の誰もが経験できないことをやっている。依頼者が期待するのは、そういうことじゃないかね」

 ノムさんはプロ野球の監督の仕事の一番目に「人間教育」をあげる。
「人間的進化なくして技術的進歩はない」
 それがノムさんの口ぐせだ。
「我々の仕事は(球団と)1年1年の契約で成り立っている。選手は“どうしてオレの方が上なのに(監督は)アイツを使うんだ”と自分に対する評価が甘くなる。
 不平を言う前に、まず成長、進歩をとげなくてはいけない。
 私は今年でプロ野球に関わって54年が終わりましたけど、本当に不思議ですね。どうして私のように無愛想でお世辞のひとつも言えないような人間が、この契約社会の中で生き残れたのか。それは四六時中、野球のことばかり考えてきたからですよ。長くこの仕事をやっていますが、野球だけは一回も飽きたことがないですね」
 天職を持つ人間は幸せである。究めても究めても究め切れない。それが野球というスポーツの奥深さなのだろう。
「理想の死に方はね、優勝して胴上げされ、降ろされたら死んでいたと。そういうのがいいんですけどね」
 ノムさんはそう言って、フフフと笑った。

 野球であれ相撲であれ、昔の名選手、名力士は皆“心の師”を持っていた。
 不滅の69連勝を果たした横綱・双葉山の師といえば、漢学者の安岡正篤だ。
 連勝が途絶えた時に双葉山が安岡正篤の弟子筋に送った電報は今も語り草だ。
「イマダ モッケイタリエズ フタバ」
「木鶏」の話は中国の古典に出てくる。
 その昔、闘鶏飼いの名手がいた。王に聞かれる。
「もう使えるか?」
「空威張の最中で駄目です」
 10日後、催促の使者がやってくる。
「もう大丈夫だろう?」
「まだ駄目です。敵の声や姿に興奮します」
 3度目の催促。
「まだまだ駄目です。敵を見ると何を此奴がと見下すところがあります」
 さらに10日後。
 ここで闘鶏飼いの名手は胸を張って答える。
「どうにかよろしい。いかなる敵にも無心です。ちょっとみると木鶏(木でつくった鶏)のようです。徳が充実しました。まさに天下無敵です」
 闘鶏にも徳がいるとは驚きだが、そのくらいの風格がなければ勝負には勝てないということなのか。
 そういえば最近、気の利いたことを言う関取がほとんどいない。寂しいことだ。

<この原稿は2009年1月2日号『週刊ゴラク』に掲載されたものです>

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