新生エディー・ジャパンに必要なのは「経験」と「集中力」 ~大野均氏インタビュー~
ラグビー日本代表キャップ(出場数)歴代最多98を誇る大野均さん。その偉業から“鉄人”とたたえられた名ロックと当HP編集長・二宮清純が、新生エディー・ジャパンの現在と未来について語り合う。
二宮清純: まずはリーグワンの話題から。5月26日に行われた2023-24シーズンの決勝で、大野さんがアンバサダーを務める東芝ブレイブルーパス東京が、埼玉パナソニックワイルドナイツを破り、優勝を果たしました。東芝の優勝は久しぶりですよね?
大野均: 私が東芝の現役でMVPをもらった09-10シーズン(当時の名称はトップリーグ)以来なので、14季ぶりになります。
二宮: そんなに間が空いていましたか。リーグワンの試合をご覧になっていて、昔と比べてレベルはどのくらい上がっているのでしょう。
大野: 私の現役時代に比べれば、格段に上がりましたね。世界のトップ選手が移籍してきたことで、それに引っ張られるように日本人選手のレベルも上がっています。
二宮: 確かに、昨年のW杯フランス大会でも活躍したビッグネームたくさんが入ってきていますね。
大野: はい。W杯決勝では南アフリカとニュージーランド(オールブラックス)が戦いましたが、ベンチ入りを含めてその試合に出場した46人のうち14人が23-24シーズンのリーグワンでプレーしました。
二宮: 東芝では、オールブラックスの司令塔(スタンドオフ)リッチー・モウンガ選手のプレーが注目を浴びました。大野さんの目には、どのように映りましたか。
大野: 身体能力はもちろんですが、危機管理能力も高い。例えば、相手にトライされそうな場面でも最後まで彼がタックルに行っている。アタックばかりに注目が行きがちですが、ディフェンスを含めてボールを持っていない時の動きが素晴らしいですね。
二宮: 東芝14季ぶりの優勝の立役者は、やはりモウンガ選手だと。他には?
大野: シャノン・フリゼルというフランカーの選手も新加入だったのですが、この2人のオールブラックス選手が入ったことで、最後のピースがはまった感じがします。一方で、どれだけすごい選手が入ってきても周りがついていけなければかみ合いません。その点、あの2人のプレーに反応できる力を周りの選手が蓄えてきたからこそ、優勝という結果につながったのだと思います。
二宮: ここからは日本代表についてお聞きしていきます。9年ぶりにエディー・ジョーンズさんがヘッドコーチ(HC)として戻ってきた新生日本代表ですが、5試合(6・7月)で1勝4敗と厳しい船出となりました。この結果をどう捉えていますか。
大野: 数字だけを見れば厳しい結果ですが、挑戦はまだ始まったばかりです。それにマオリ・オールブラックスから1勝(ノンテストマッチ)を挙げたこと、それも日本国籍の若手主体で勝てたことは、今後のエディー・ジャパンにとって明るい材料になりました。
二宮: 今回、エディーさんは、新チームの始動に当たって「超速ラグビー」を掲げています。大野さんは1期目のエディー体制を経験していますが、超速ラグビーについてどのように評価していますか。
大野: フィジカルや思考の速さだけではなく、日本人の強みである規律を生かす、つまりペナルティーを犯さずに相手に先んずる――そういうラグビーではないかと思っています。
二宮: なるほど。ただ、それだと以前のエディー・ジャパンが目指していたものとあまり変わらない気もします。
大野: ええ。たぶんエディーさんは、それがいちばん日本人の特性に合っていると考えているのでしょう。ただ、考え方は同じでも、それを実践する選手たちは変わっているので、また別のものになると思います。
二宮: 第1次エディー・ジャパンを振り返った時、2013年6月15日の対ウェールズ戦が1つの転機になったという声をよく聞きます。この試合で日本は欧州の強豪ウェールズに初めて勝ったわけですが、あの時の手応えはどうだったのでしょうか。
大野: 練習が猛烈にきつかった分、すごい試合がラクでした。当時一緒に出場した菊谷崇選手と試合中に目が合い、2人とも笑って「試合の方がラクだね」と話したことを覚えています。
二宮: 練習の厳しさでいえば、2015年W杯イングランド大会の半年ほど前の宮崎合宿は、“地獄の合宿”として語り草です。
大野: 梅雨期のジメジメした中で、何度もエディーさんにダメ出しされながら、ひたすら体をぶつけ合っていましたね。そんなある日、エディーさんがメディアの取材に対して「おいしい紅茶は熱湯をかけないと飲めない」という話をしたんです。それを聞いて、「ああ俺ら今、熱湯をかけられているんだ」って思いました(苦笑)。
二宮: 熱湯にも程があるでしょう(笑)。1日のスケジュールは、分刻みのタイトなものだったそうですね。
大野: 朝4時半に起きて5時から練習。6時過ぎに終わって朝食をとって少し休んで、10時からまた練習。昼食をとって昼寝して、午後3時ぐらいからフォワードとバックスに分かれての練習。その後、少し軽食をとって今度は小さい単位でチームの戦術を確認する。すべて終わるのが6時か6時半頃でした。
二宮: それはハードですね。でも、当時の日本はまだW杯で1勝しかしてなかった。世界を知っているエディー流の厳しい練習を受け入れるほかなかったと思います。ただ今の選手たちは多少なりとも世界を知っているわけですよね。そういう状態で、エディー流のスパルタ練習に選手たちはついていけるのかという不安もある。
大野: 今の日本代表に、もうスパルタは必要ないかもしれません。実際、エディーさんもテストマッチ後の会見で、以前だったら結果に激怒していただろうに、選手たちの才能を認めた上で、「今のチームはまだ幼稚園児といえるかもしれない。だが、プロセスを経なければ(結果を)得ることはできない」と冷静に語っています。選手たちも「確かに練習はきついけれども、楽しい」と言っているんです。
(詳しいインタビューは8月30日発売の『第三文明』2024年10月号をぜひご覧ください)
<大野均(おおの・ひとし)プロフィール>
1978年5月6日、福島県郡山市出身。小学4年から高校まで野球をやっていたが、日本大学工学部入学時に先輩の熱心な勧誘を受けてラグビー部に入る。2001年に東芝府中ラグビー部(現・東芝ブレイブルーパス東京)に入団。トップリーグのベスト15(ロック部門)に歴代最多の9回選出されたほか、2009年にはリーグMVPを獲得するなど活躍。リーグ戦通算出場数(170試合)は歴代4位タイ。日本代表には04年に初招集され、5月の対韓国戦で代表デビュー。ワールドカップ(W杯)には07年、11年、15年と3回出場。中でも15年大会では、「ブライトンの奇跡」(強豪・南アフリカからの勝利)の立役者の1人となった。日本代表キャップ(出場回数)98は歴代最多。20年の現役引退後は、東芝ブレイブルーパス東京のアンバサダーに就任。23年W杯では、日本ラグビーフットボール協会から「ラグビー日本代表応援サポーター」の1人に任命されたほか、「2023年度フランス観光親善大使」にも就任した。