悔しさに満ちた3年。でも金メダルのためには必要だった ~文田健一郎インタビュー~
豪快な投げ技で見る者を魅了してきた文田健一郎。金を目指しながら銀メダルで終わった東京五輪での悔しさをバネに、パリ五輪では見事に金メダルを獲得した。その背後にあった苦悩と成長の物語に、当HP編集長・二宮清純が迫る。
二宮清純: まずはパリ五輪男子グレコローマン60㎏級での金メダル獲得、おめでとうございます。日本勢による五輪男子グレコローマンでの金メダル獲得は、1984年のロサンゼルス大会以来、40年ぶりの快挙です。
文田健一郎: ありがとうございます。日本でも多くの皆さんに応援していただき、それが大きな力になりました。
二宮: 見事金メダルを手にされたのでお聞きしますが、やはり、前回(東京五輪)の銀メダルは相当悔しかった?
文田: 東京五輪で絶対に金を取るという思いでずっとレスリングをやってきたので、そこで負けたのは本当に悔しいことでした。それこそ、この3年間何度も夢に出てきたくらいです。
二宮: どのような夢を見たのでしょうか。
文田: 東京五輪の決勝で負けた夢はもちろん、パリ五輪の決勝で負ける夢も何度も見ました。「また銀メダルか。いったい何がいけなかったのだろう……」と思いながら飛び起きて、夢だと気づき、「今度こそ負けないように、今日の練習を充実させよう」と気を引き締める。その繰り返しでした。
二宮: 今日は、東京五輪の銀メダルもお持ちいただきました。選手の中には、あえて銀メダルを目につく所に置いて、その悔しさを忘れないようにする人もいると聞きます。文田選手は?
文田: 私は、それこそ何度も夢に見るくらい悔しい思いを抱えていたので、目に触れない所に置いていました。
二宮: 今回金メダルを取って、その悔しさは晴れましたか。
文田: 悔しさを忘れることはありませんが、あの悔しさがあったからこそ、今回の勝利があるというふうに思えるようになりました。たとえ銀メダルでも、自分にとっては大事なメダル。でも、そう思えないくらいの葛藤がずっとあったので、それがなくなったことは素直にうれしいですね。
二宮: 文田選手といえば、豪快な投げ技を中心とする攻撃的なレスリングが代名詞です。しかし東京五輪以降の試合では、投げ技を封印して守りを固め、地道にポイントを重ねていくスタイルに変わった。そこには何か理由があったのでしょうか。
文田: 確かに、東京五輪まではずっと投げにこだわって結果を残してきました。ところが東京五輪の決勝でルイスアルベルト・オルタサンチェス選手(キューバ)に負けてしまった。距離をとられて、全く組ませてもらえなかったんです。それで、投げにこだわる自分のスタイルは間違っているのではないかと感じ、手堅いスタイルに変えました。
二宮: 文田選手は金メダルの本命と見られていましたから、相当研究されていたんでしょうね。でも今回のパリ五輪では、準決勝のジョラマン・シャルシェンベコフ選手(キルギス)に豪快な反り投げを決めて逆転に成功するなど、攻撃的な部分も見られました。
文田: 攻めと守り、どちらかにこだわるのではなく、自分らしくやればいい。無理には投げにいかないけれど、自然に体が動けば投げる――そんなふうに思えるようになったのです。そのきっかけをくれたのも、シャルシェンベコフ選手でした。
二宮: シャルシェンベコフ選手とは去年の世界選手権決勝でも戦い、その時は文田選手が敗れていますね。その試合がきっかけになったと?
文田: はい。あの試合は、試合中にレスリングを通してシャルシェンベコフ選手と会話しているような気持ちになりました。お互いが投げを狙う展開に、「お前がやりたかったのはこれだろう!」と言われている気がして。最後は豪快に投げられて負けたのですが、このアグレッシブな戦いこそがグレコ(ローマン)の魅力なんだと、改めて気づかされました。そういう意味では、負けはしましたが、あの試合は自分のベストバウトだと思っています。
二宮: そのシャルシェンベコフ選手とパリ五輪のメダルが懸かった準決勝で当たるわけですから、運命としか言いようがない。
文田: パリ五輪の組み合わせが発表になった時、勝ち進んでいけば準決勝でシャルシェンベコフ選手と当たると分かりました。それで「絶対に彼と戦いたい」と思い、それもモチベーションの1つになりました。
二宮: その一戦を少し振り返りたいのですが、第1ピリオドで1点を取られて迎えた第2ピリオド、鮮やかな反り投げを決めて4-1と逆転しました。あの投げは狙っていたのですか。
文田: いえ、体が勝手に動いた感じです。もう無我夢中でしたから。
二宮: その後、残り30秒でバックを取られ2点を奪われたものの、4-3で逃げ切り、決勝進出を決めました。勝った後、シャルシェンベコフ選手に何か声をかけていましたね。どんなことを話したのですか。
文田: 感謝と尊敬の気持ちを伝えました。彼が世界王者として抱えてきた重圧と負けたことのショックも理解できるので、「明日はお互いに勝って(シャルシェンベコフ選手は3位決定戦)、この試合が“真の決勝戦”だったと言われるような試合をしよう」と。
二宮: 実際に2人とも勝って、表彰台に一緒に立ったわけですからね。素晴らしい。
文田: 本当に良かったです。
二宮: 決勝戦では、世界ランキング2位の強豪・曹利国選手(中国)と戦いました。開始から攻めて第1ピリオドに3ポイントを奪い、第2ピリオドは先にポイントを奪われたものの、その後は守りを固めてリードを守りきって勝利。この3年間の集大成を見るような、本当に完成度の高い戦いぶりでした。
文田: ありがとうございます。以前の私は、投げるという得意技があったことで、守りの部分をごまかしていたような気がします。でも東京五輪で負けて、そこを見直すことができた。さらに世界選手権でシャルシェンベコフ選手と戦ったことで、自分の強みである投げにも磨きをかけられた。悔しさに満ちた3年間でしたが、今振り返れば、金メダルのために必要な3年間だったのだと思います。
(詳しいインタビューは10月1日発売の『第三文明』2024年11月号をぜひご覧ください)
<文田健一郎(ふみた・けんいちろう)プロフィール>
1995年12月18日、山梨県韮崎市出身。レスリング指導者だった父親の影響で、小学5年時にレスリングを始める。中学へ進んでから本格的に取り組み、全国中学生選手権優勝ほか国際大会でも活躍。高校は父親が監督を務める強豪・韮崎工業に進み、国体や全国高校生グレコローマン選手権など優勝を重ねた。2014年の日本体育大学進学後はグレコローマンに専念し、全日本学生選手権や全日本選抜選手権などを制覇。17年の世界選手権では、グレコローマンスタイルの日本選手として34年ぶりの金メダル(59㎏級)を獲得した。19年、世界選手権で2個目の金メダル(60㎏級)を獲得。21年、東京オリンピックに初出場し、惜しくも銀メダルに終わる。雪辱を期して臨んだ24年パリ五輪では、グレコローマンスタイルで40年ぶりとなる金メダル(60㎏級)を獲得した。身長168㎝。ミキハウス所属。