クライマックス・シリーズ進出を目指した昨季、あと一歩、3位・中日に及ばなかったカープ。ブラウン改革は今季こそ花開くのか? 新球場で広島の街は盛り上がるのか?
 08年12月15日、都内で『第5回東京カープ会』が開かれた。熱心なカープファン約280人と6人のパネリスト、ゲストが、愛するカープについてトークバトルを展開した。“最強赤ヘル軍団”も、今や万年Bクラスチーム。そろそろ復活の時だ!
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―― 2008年の神宮最終戦のことでお聞きしたいことがあります。大竹寛が8回裏まで完璧に抑えていて、しかも9回裏に一度マウンドに上がって投球練習までしたのに、永川勝浩に代えられました。こんなこと、普通はありえないとだと思うのですが。

上田: 僕、これについてはいろいろと思うところがあるんです。実はその試合、僕は三塁のブルペンのところにいたんですよ。あの日、大竹がなぜ先発したかというところから話は始まっているんです。つまり、大竹が登板するはずだった9月24日、青木高広を先発させたという奇襲で失敗するところからブラウンのギャンブルが始まっていたわけです。あれでカープの3位がなくなって、大竹はものすごくきするものがあって、その日先発したわけですよ。本当にいいピッチングでした。そんなに力いっぱい投げたらつぶれるんじゃないかっていうくらい、すっごくいいピッチングだったんです。スタンドもものすごく大竹を応援していました。皆さん、これまであんなに大竹を応援したことありましたか(笑)? 9回表に(カープが)1点取って、「大竹〜!」って。あの時の盛り上がりは、今年の神宮で一番だったと思うんです。そんな中、大竹が出てきたわけですよ。オレは「大竹、続投だ!」って叫んだんです。そしたらみんなも「おぉ〜!」って。本当に続投するのかと思ったら、しょぼしょぼマウンドを降りて、永川に代わっちゃった。もう「いい加減にしろ!」と思いましたよ。話にならんと。やっぱりブラウンはチーム内で孤立しているんじゃないでしょうかね。

二宮: 長嶋さんはブラウン監督についてはどう思っていますか?
長嶋: 僕ね、正直、本当はマーティ・ブラウンが(カープの)監督になった時、「この監督、ずっとこのままだったら一生勝てないな」と思ったんですよ。それくらいアメリカかぶれになっていたんです。ところが07年の秋季キャンプくらいからそれを変えたんですよ。(元北海道日本ハムの)ヒルマンは一年で変えた。日本の野球も練習も全部取り入れたんです。でも、マーティは3年間、頑として変えなかった。「あぁ、かわいそうに。カープにもいい選手いるのに……」って。僕はよそからそうやって見ていたんです。

川口: 08年の春のキャンプのときに天福球場行って練習見ていたら、マーティが「ちょっと来い」って言うんですよ。そしたら「オレのやっていること、間違っているか?」ってオレに訊いてきたんですよ。だから「マーティが思うようにやったらいい」って言ったんです。「アメリカでやってきた成果をこの日本で見せたらいいんじゃないの?」って。だって、間違っているか間違っていないかは結局チームが勝てば間違っていないし、負ければ間違っているっていう世界だから。
長嶋: でも、選手が練習したいと思っているのに、それを抑えられるっていうのは選手にとってこんな不安なことはないと思うんですよ。

川口: そうだね。
長嶋: 中日があれだけ練習していることも(カープの)選手もみんなわかっているわけじゃないですか。「オレらこれでいいの?」みたいな。そんな気持ちで、いざゲームをやっても土壇場のときに……。

川口: 力を出せるかどうかということだよね。
長嶋: そういうことです。

(Vol.15につづく。随時更新します)


長嶋清幸(ながしま・きよゆき)
1961年11月12日、静岡県出身。自動車工高(現・静岡北高)から80年、ドラフト外で広島に入団。勝負強い打撃と安定した外野守備で、カープの黄金時代を支えた。84年には巨人戦で2試合連続サヨナラ弾を放ち、日本シリーズでも3本塁打をマークして日本一に貢献。シリーズMVPに輝いた。91年より中日、93年に千葉ロッテ、94年から阪神と計4球団を渡り歩き、97年限りで引退。その後はコーチとして星野阪神、落合中日のリーグVに力を尽くした。通算成績は1477試合、1091安打、107本塁打、448打点、打率.271。ゴールデングラブ賞4度。今季から韓国・三星ライオンズの打撃コーチに就任。




川口和久(かわぐち・かずひさ)1959年7月8日、鳥取県出身。鳥取城北高校から社会人野球チーム・デュプロを経て、80年広島にドラフト1位で入団。長年、左のエースとして活躍する。87、89、91年と3度の奪三振王のタイトルを獲得。94年にFA権を得て、読売ジャイアンツに移籍。96年にリーグ優勝を果たした際には胴上げ投手となった。98年シーズン終了後に現役を引退。通算成績は435試合、139勝135敗、防御率3.38。現在、解説者の傍らテレビやラジオにも出演するなど、幅広く活躍している。






上田哲之(うえだ てつゆき)
1955年、広島県出身。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。






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