この日、クルム伊達公子はひとつの作戦を立ててゲームに臨んだ。シュテフィ・グラフが得意とするフォアハンドを封じるというものである。そのため伊達はいったんグラフのオープン・スペースにストロークを返し、バックハンドでしか対応できないスペースを作っておいて、そこに精度の高いバックハンドでのクロスやフォアハンドでのダウン・ザ・ラインを狙い打った。

 とりわけダウン・ザ・ラインは威力を発揮した。サイドラインとほぼ平行の軌道を描くこのショットはネットの外側を通過するため手元が少しでも狂うとミス・ショットになる可能性が高い。しかし、ピンポイントで決まれば、これほど頼りになる武器はない。

 ファイナルセット第20ゲーム、0−15から伊達の目のさめるようなショットが飛び出した。クロスでグラフを左に振っておいて、絵に描いたようなダウン・ザ・ライン。グラフはボールの行方を目で追うだけで一歩も動くことができなかった。

 30−15からの攻めも見応えがあった。伊達のダウン・ザ・ラインに備えて、自らの左サイドをカバーしようとグラフが左足に心持ち重心を移した瞬間、弾道の低い矢のようなクロスが突き刺さった。またもやグラフ一歩も動けず。

 左右に揺さぶられた挙句、定規ではかったようなピンポイント・ショットを打ち込まれたグラフの表情からは明らかに疲労の色が見てとれた。やがて足元がフラつき始める。女王は確実に追い詰められていた。

 死闘にピリオドを打ったのは952打目。実に試合開始から3時間25分が経っていた。

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