彼と初めて会ったのは、今から10年以上前、1997年の秋のことだ。
 当時、僕は出版社を休職してブラジルのサンパウロを拠点に南米大陸をバスで回っていた。いや、正確には「回ろう」としていた。

(写真:僕の借りたアパートはサンパウロの東洋人街、リベルダージにあった)
 治安の悪い南米を旅するのは、言葉の習得が不可欠である。日本ではスペイン語をNHKラジオ講座で勉強していたが、ブラジルで使われているのはポルトガル語だ。文法は似ているが、話すリズム、日常会話で良く使う単語はスペイン語と全く違っていた。
 サンパウロでアパートを借り、アマゾン川を船で下ったりしているうちに、ポルトガル語は不自由なくなっていた。そろそろサンパウロを離れて、他の南米の国を回ってみようかと思っていた頃だった。
 そんな時、日本の知り合いからインタビュー記事を書いてくれないかという依頼があった。無給の休暇中であるが、身分上はあくまで社員である。厳密には他社の仕事をしてはならない。ただ、短い原稿で原稿料も安かったが、僕は少々退屈していた。久しぶりに仕事をしてみたいと思っていた。
 何よりインタビューの相手は、憧れの選手だった。
 本名ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ビエイラ・ジ・オリベイラ、通称ソクラテス。82年のW杯のブラジル代表、黄金のカルテットの一人である。
 190センチを越えるすらりとした長身、サッカー選手でありながら医師。髭を蓄えた精悍な顔つきは、まさに哲学者ソクラテスを連想させた。彼の得意技はヒールキックで、僕は良く彼の真似をしたものだった。
 翌年行われるワールドカップのブラジル代表について話を聞きたいと、知人から連絡を入れてもらった。すると、ヒベロン・プレットまで来てくれれば話をするという返事を貰ったのだ。

 ヒベロン・プレットはサンパウロの内陸部にある、農業とハイテク産業の盛んな商業都市である。ソクラテスはアマゾン川河口のベレンで生まれているが、ヒベロン・プレットで育った。最初のクラブもこの街のボタフォゴである(サンパウロのボタフォゴとは別のクラブ。ブラジルには同じ名前のクラブが各地にあるのでややこしい)。
 サンパウロの渋滞を出ると、まっすぐな道が続く。鉄道がほとんどないため、この広大な国の主要な移動手段は陸路である。左右には牧草地が広がり、サトウキビを積んだトラックと行き交う。
(写真:サンパウロ州の道路は整備されている。眠くなるほどまっすぐが続く)
「渋滞を抜けるのに思ったより時間がかかってしまった。ちょっと遅刻するかもね」
 隣でハンドルを握っていた菊地さんが前を見ながら舌打ちをした。
 今回、僕は、通訳兼運転手をサンパウロに住んでいた菊地さんに頼んだ。ポルトガル語に慣れたとはいえ、取材となれば話は別である。彼は元サッカー選手であり、偶然であるが、僕の中学校のサッカー部の先輩と大学で同級生だった(その先輩は現在、JFLの某チームでゼネラルマネジャーを務めている。世界は狭いのだ)。

 高層ビルの建ち並ぶ、ヒベロン・プレットは遠くからでもすぐに分かった。街中に入ると、壁には落書き、ストリートチルドレンが道で寝ているサンパウロとは雰囲気が違っていた。落ち着いた街並みで、中産階級が多いようだった。
 ソクラテスとは、家の前で待ち合わせていた。僕たちの顔を認めると、彼は車の中から「ついてこい」という仕草をした。
 車はしばらく走ると、街中の前で止まった。彼は車から出てくると、入り口を指さした。
 ここが『ピングイ』のようだった。
 出発前、ブラジル人の友人にソクラテスに会うのだと自慢した。そして、どうもピングイという場所で話を聞くことになりそうだと言うと、「さすが、ドットール」と皆が大笑いした。理由を聞くと、こう答えた。
「サンパウロで最も有名なショッペリアだよ」
 ショッペリアとは、生ビールを出す店のことである。ピングイは、1936年にヒベロン・プレットで創業。ブラジルで最も美味しい生ビールを作っているという。
 医師免許を持っているソクラテスはその風貌もあり、日本では知的な求道者の印象が強いが、ブラジルでは少々違うようだった。知的であることは間違いないが、酒飲みとして有名だった。
 才能あるサッカー選手であり、医師。そして酒飲み。僕の中で、ソクラテスという人間の像が浮かんでこなかった。

 扉を開けると、広い店内にはタイルが敷かれており、木製のテーブルと椅子が並べられていた。ランチには遅く、日はまだ高いという中途半端な時間だったので、客はほとんどいなかった。
(写真:82年ワールドカップのブラジル代表は素晴らしかった。ジーコ、ファルカン、セレーゾ、ソクラテス。中でもソクラテスのプレーからは知性を感じた)
「何を飲む?」
 ソクラテスは椅子に座るなり僕に尋ねた。
 菊地さんは運転をしなければならないこともあったが、ほとんどアルコールを身体が受け付けない。いつものようにコカコーラを頼んだ。
 これから取材を控えている。生ビールの有名な店ではあるが、日本では酒を飲みながら取材をすることはなかった。僕は少し考えた。
ここはブラジルだ。そして相手は有名な酒飲みである。
「僕も、ショッピ(生ビール)を」
 こうして、ソクラテスとの最初のインタビューは始まった。
 この時、僕は彼が酒飲みの世界でも、スーパーがつく「クラッキ(才能ある選手)」であることをまだ知らなかった――。

(つづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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