一気に飲みすぎた……。
 トイレの鏡に映った僕の顔は、明らかに赤く酔っていた。無理もない。ソクラテスと、飲み始めて3時間以上が経っていたのだ。
 長時間飲み続けることは、僕にとって珍しいことではない。それがずっとビールというのが辛いのだ。

(写真:現役時代の痩せた身体から、ずいぶん横にも大きくなり、物理的にも“器”は大きくなっていた)
 ブラジルには、焼酎のような気の利いた蒸留酒はない。不思議なもので、現地で最も愛されている酒がその土地の気温と空気に合うものだ。例え、焼酎の水割りをここで飲んだとしても旨くないだろう。
 サトウキビから作ったカシャーサがあるが、水で割ったりせず、ストレートで飲むのが一般的だ。カシャーサを飲みながらインタビューはできない。
 ブラジルで人々が飲むのは、ビール。『ピングイ』で有名な生ビールを飲むしかない。ただ、ビールの欠点は炭酸ですぐにお腹が膨らんでしまうことだ。僕は何度かトイレに行っていたが、ソクラテスは一度も席を立たなかった。
<この人は色んな意味で、器が大きい……>
 僕は彼の変わらぬ飲みっぷりを見ながら思っていた。

 とにかく、彼は頭脳明晰だった。酔ってもそれは変わらなかった。
 翌1998年のフランスW杯に臨む、ブラジル代表について、彼は辛辣だった。
 ブラジル代表を率いていたのは、マリオ・ザガロ。94年のW杯でザガロは総監督としてチームを率いて、70年メキシコ大会以来の優勝を成し遂げた。前線に、ロマーリオとベベットという強力な二人のフォワードを置き、他は引き気味という“負けないサッカー”に対しては、ブラジル国内での批判は強かった。
 あんなサッカーでは優勝しても、面白いのか、と。
 ブラジル人が指向するのは、ジョゴ・ボニート、つまり美しいサッカーである。
 パスを華麗に繋いで、多くの得点を決めるという攻撃的サッカー。ソクラテスやジーコがいた、82年のブラジル代表は、まさにジョゴ・ボニートだった。中盤で華麗にパスを回し、主導権を握って、美しくゴールを上げた(余談だが、昨年のチャンピオンズリーグのバルセロナもまたジョゴ・ボニートだった)。
 それと比べると、94年のブラジル代表は、効率的ではあるが華麗さに欠けた。98年大会では、ザガロは総監督から監督となっていた。そして、守備的なサッカーであるという批判がブラジル国内でまたもや出ていた。
(写真:ソクラテスはザガロの代表のことをあまり評価していなかった。2002年5月に行われたチャリティマッチにて)

 あなたが監督だとしたら誰を選ぶか、という質問に対して、ソクラテスはこう答えた。
「ブラジルは次々といい選手が出てくる。俺が選んだ選手が半年後ベストかどうかは分からない。このメンバーはあくまでも、“今”選んだメンバーだ。基本は3−5−2のシステム」
 キーパーは、ホジェリオ・セニ。リベロにアンドレ・クルス、センターバックはジュニオール・バイアーノとクレーベル。中盤は、カフー、ライー、ジュニーニョ(パウリスタ)、リバウド、レオナルド、あるいはロベルト・カルロス。フォワードには、ロナウドとジオバンニ。
 予想通りであったが、彼のメンバーの中に、ドゥンガの名前はなかった。
 94年大会のブラジル代表の象徴は、ロマーリオとベベットのツートップとキャプテンのドゥンガだった。
 中盤の底、いわゆる守備的ミッドフィールダー(ボランチ)のドゥンガは、ブラジルでは最も批判を浴びる選手だった。ブラジル人が好む選手は、派手なドリブルやテクニックを持った選手である。ドゥンガはその点で極北に位置した。
 彼は特筆すべき技術があるわけでも、スピードがあるわけでもない。足は遅く、一見、平凡なプレーヤーに見える。しかし、彼の正確なロングキック、的確なコーチング、闘争心は、母国ブラジル以外では高い評価を得ていた。
 98年大会でも引き続き、ドゥンガはキャプテンを務めていた。
「あなたが選んだ中盤の選手のうち、カフーとレオナルドが両サイドとして、残りの選手のジュニーニョもライーもリバウドも守備を得意としていない。ボランチはいらないという考えなのかな?」
 僕が尋ねると、その通りと彼は頷いた。
「ボランチというのが、ドゥンガのような選手ならばいらない。もちろん対戦相手によっては、マーク専用の選手を入れる必要もあるかもしれない。基本的にボランチはいらないと考えている。その代わりに、前にも動くことのできる、リベロを置くんだ」
 つまり、その場合、ディフェンスは二枚しか残らない。攻撃的なサッカーを好むソクラテスらしかった。
(写真:まずきちんと守り、その上で攻撃を組み立てるというドゥンガとは哲学が合わないようだった)

 82年のW杯の時、ソクラテス、ジーコ、ファルカン、セレーゾの4人とも、守備が得意な選手ではなかった。セレーゾが他の3人よりも守備をしていたが、彼もボランチとはいえない。自分たちがボールをキープしていれば、守る必要はなかったのだとも言った。
「例えば、94年のアルゼンチン代表にはレドンドのようなパスを散らすことのできる、創造力あるボランチがいた。彼のような選手は?」
「94年大会で最も強いチームはアルゼンチンだった。しかし、W杯の歴史が証明している通り、ベストのチームが勝つわけじゃな。レドンドは、サッカーという競技を良く知っている。ブラジルにだって、彼のような選手がいないわけじゃない。例えば、ゼ・エーリアス。彼は守備も攻撃も巧い。しかし、ザガロは選ばない」
 ゼ・エーリアスは、コリンチャンスの下部組織出身のテクニシャンである。
 この時は、ドイツのバイヤーレバークーゼンを経てイタリアのインテルミラノに所属していた。確かに、魅力ある選手ではあったが、正直なところ、他の選手と比べると見劣りした。
 他の話でも同様のことがあったのだが、彼は攻撃的なサッカーを評価すると同時に、出身クラブであるコリンチャンスの選手を贔屓にした。頭脳明晰である彼のそんな一面を微笑ましく思った。
 次のW杯は、若いロナウドのための大会になると予想されていた。彼はバルセロナで活躍し、イタリアのインテルミラノに移籍していた。爆発的なスピードに柔らかいテクニックを備えた、世界一のフォワードだった。
 しかし、ソクラテスは違う考えだった。
「みんなは彼のことを褒めるけれど、僕はそこまでのフォワードだとは思わない」
 その理由は、僕たちでは思いつかない彼らしいものだった−−。

(つづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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