二宮: 初土俵は1994年の1月場所。幕下付出からのデビューでした。最初の取組のことは覚えていますか?
楯山: 覚えています。めちゃくちゃ緊張しました。まずお客さんの多さにビックリしましたね。アマチュア相撲でガラガラの中、相撲をとることに慣れていましたから、その熱気に圧倒されました。
二宮: 当時は若貴ブームで、国技館は連日満員御礼が出ていましたよね。
楯山: はい。そして、もうひとつ緊張したのが所作。塵をきったり、四股を踏んだり、土俵上で取組の前にいろいろやらなくてはいけない。間違えないように、とても気をつかいました。勝つには勝ったんですけど、勝負よりもそれ以外のところで疲れましたね。

 初金星の実感は沸かなかった

二宮: しかも大相撲では名古屋、大阪、九州と年3回、地方場所がありますし、巡業で地方を巡ることもあります。
楯山: でも、特に入門したての時期はあちこち行けるのが、とても楽しかったですね。どこへ行っても、その土地の知り合いの人に会えるし、その街の雰囲気を味わえる。移動が続くのは大変でしたが、前向きに考えていました。

二宮: デビューから15年、1200番以上の取組をしてきました。最も思い出に残る一番をあげれば?
楯山: やはり一番、最初に金星をとった相撲ですね。相手は横綱・貴乃花関でした。

二宮: 1997年5月場所2日目、押し出しで破った一番ですね。当時の貴乃花は前年に4場所連続で優勝するなど全盛を誇っていました。
楯山: もう勝てなくて当たり前と思っていましたから、当たって砕けろの心境でした。

二宮: 立ち合いからの相撲は覚えていますか?
楯山: いい感じで当たったことだけは覚えています。それからは無我夢中。一生懸命押しました。すると、「勝負あり!」と行司さんに止められた。何が何だかよくわからなくて、後でビデオを見ると横綱の足が一瞬、出ていた。横綱も僕もまだ残っていると思って相撲を続けていたんですね。お客さんも何が起きたのかわからなくて、最初はシーンとしていました。

二宮: では金星の実感はなかったと?
楯山: 横綱に勝つと、大歓声の中、座布団が舞うというイメージがあったので、肩透かしをくらった感じでした。すぐに「勝った」という気持ちにはならなくて、時間とともに実感が沸いてきた感じです。

 強い力士が一番稽古をする

二宮: 親方は若乃花、貴乃花、曙、武蔵丸など強い力士とたくさん顔を合わせてきました。その中でも最強をあげるとすれば貴乃花ですか?
楯山: 総合的にみると貴乃花関ですかね。ただ、当時は、どの力士にも個性がありました。若乃花関は小さい体ながらバネがありましたし、曙関はリーチが長くて、独特の間があった。武蔵丸関はどっしり構えていて、対戦する前から勝てそうになかった。頭の片隅に恐怖心を感じつつ、それを振り払って相手にぶつかっていく。この繰り返しでしたね。

二宮: 強い横綱たちから学んだことは?
楯山: やはり強い力士は一番稽古をするんです。普通の力士は何番も続けると、息があがって疲れてくる。ところが強い力士はそこから逆に呼吸が整って、力を発揮する。マラソンと一緒で、呼吸を乱さず自分の相撲が続けられるんです。

二宮: 昔、元力士のプロレスラー天龍源一郎さんにこんな話を聞きました。ある時、横綱の大鵬さんが稽古中、口に水を含んだそうです。何番か取り終わって周囲がハァハァ言っている中、大鵬さんは口に含んでいたその水をパッと吐き出した。つまり、その間、全く呼吸が乱れることがなく、水も口に含んだままだったというのです。横綱の本当の強さを垣間見た気がしたと言っていましたね。
楯山: 強い力士ほど自分のピークに持っていくのがうまい。しかも、それをキープできる。横綱と稽古をしていると、上には上がいるものだと感じました。僕はそこまでのレベルにはついていけない。強い人が一番稽古するわけですから、勝てるわけがないなと痛感しましたね。

(第4回につづく)
>>第1回はこちら
>>第2回はこちら

<楯山良二(たてやま・りょうじ)プロフィール>
1972年1月7日、愛媛県東宇和郡野村町(現・西予市)生まれ。本名:松本良二。現役時代の四股名は玉春日。野村高、中央大を経て、片男波部屋に入門。94年初場所、幕下付出で初土俵を踏む。翌年、十両に昇進し、96年初場所新入幕。得意の突き、押しを武器にその場所で10勝をあげ、敢闘賞に輝いた。翌年、夏場所には横綱・貴乃花(現・親方)から初金星。名古屋場所では自己最高位となる関脇に昇進した。その後はヒザ、首などのケガもあり、十両落ちも経験するが、06年名古屋場所では11勝4敗の好成績で技能賞を受賞。55場所ぶりの三賞は最長ブランク記録だった。同年と07年はいずれも6場所中4場所で勝ち越し。35歳を超える年齢を感じさせない相撲で土俵を沸かせた。08年秋場所をもって引退。年寄・楯山を襲名し、後進の指導にあたる。通算成績は603勝636敗39休。十両優勝1回、殊勲賞1回、敢闘賞2回、技能賞2回、金星7個。




(構成:石田洋之)
◎バックナンバーはこちらから