“フェノメノ”(怪物)こと、ロナウドはこの時、ロナウジーニョと呼ばれていた。「zinho(ジーニョ)」という接尾語をつけると、「小さい〜」とか、「〜ちゃん」と意味になる。逆に「ão(ァオン)」をつけると、「大きな〜」となる。
 例えば、94年のW杯のブラジル代表には二人のロナウドがいた。元清水エスパルスのディフェンダー、ロナウドを「ロナウダン(ロナウドのdとァオンが繋がってロナウダンという発音になる)」と「ロナウジーニョ」と区別していた。

 ちなみに“フェノメノ”ロナウジーニョは年をとってロナウドになり、新たにロナウジーニョ(現ACミラン)が出現した。ブラジルでは、ACミランのロナウジーニョはロナウジーニョ・ガウショ(南部出身のロナウドちゃん)と呼んでいた。
 この時のロナウドはまだ若く、ロナウジーニョと呼ぶに相応しかった。
「来年、98年のフランス大会は、ロナウジーニョのための大会になるのではないかと言う人もいる」
 ソクラテスは「そう思わない」と即座に否定した。
「爆発的なスピードがあるし、身体的能力は優れている。しかし、テクニックはまだまだだ。特にヘディングは上手いとはいえない。ロナウジーニョの得点を細かく分析してみれば分かるが、運に助けられてきた部分が大きい。純粋にテクニックで考えれば、ロマーリオの方がずっと上だよ。ロナウジーニョはまだシュートを知らない」
「シュートを知らない?」
「そう。シュートの技術がまだないことを、俺たちはシュートを知らないと言うんだ」
 すでにビールを飲み、酔っていたこともあり、ぼくは食い下がった。
「あなたがいた、82年のW杯のブラジル代表はぼくの憧れのチームだった。ジーコ、ファルカン、セレーゾ、そしてあなたと中盤には才能ある選手がいた。しかし、イタリアに敗れてしまった。イタリアは良質なサッカーをしていなかったが、パオロ・ロッシという決定力のあるフォワードがいた。ブラジルが敗れたのは、フォワードがいなかったせいではないか? もしあの時代にロナウドがいれば、優勝していたと思うんだけれど」

 ソクラテスは大きく首を振った。
「それはないね。そもそも、ぼくたちの時代にはカレッカがいた。カレッカが大会直前に怪我をしなければ、チームには優れたフォワードがいた。現時点では、総合的に見て、ロナウドよりもカレッカの方が上だよ。カレッカは足技もあるし、ヘディングも巧かった」
 ソクラテスは、ビールを飲み干すと、もう一杯頼んだ。
「スピード、身体的能力、体力といったものもサッカーには必要かもしれない。でも、一番大切なのは、技術だ。技術的にもっとも優れた選手が、一番いい選手だと考えている。そうした意味で、近年のサッカーだとマラドーナ以上の選手はいない。いや、ジーコの方が上かな。とにかく、アルゼンチンにはマラドーナ以上の選手は出てきていないし、ブラジルでもジーコ以上の選手は出てきていない。それは確かなことだ」
「ジーコやマラドーナは、シュートを知っていると」
「そういうことだ」
(写真:ソクラテスは、ブラジル代表のチームメイトだったジーコを「シュートを知っている」と評価している)


 この時、日本代表はジョホールバルで勝ち、初めてのW杯出場を決めていた。日本代表についても聞いてみることにした。
「日本代表の試合を見たことは?」
「ゴールシーンはテレビのスポーツニュースでやっているので見たことはあるが、一試合全てを見たことはない。ただ、Jリーグの試合はブラジルで一時期放映していた。ジーコたちがプレーしていたので、情報は入ってきているよ。急速に力をつけてきたので、次のW杯では注目の国の一つだとは見ているよ」
「初めてのW杯で、日本は1勝できるだろうか?」
「どのグループに入るかによるね。チームには相性というものがあるんだ。例えば、イタリアとイングランドを比べた場合、イタリアの方が強い。しかし、日本はイングランドよりもイタリアの方が戦いやすいだろう。イングランドのように、高さと力で来るチームに、日本のような小型のチームは弱い。もし、イングランド、ブラジル、チリ、あるいはユーゴスラビアなどと一緒の組に入ったら、日本は1勝もできないだろう」
「チリはそんなに強いの?」
「そうでもない。しかし、日本は苦手とするだろう」

 この時のチリには、イバン・サモラノとマルセロ・サラスという世界的なフォワードが二人いた。元々チリは固い守備が持ち味である。確かに日本は歯が立たないだろう。
 日本代表に対しては断片的な知識しかないのだが、と前置きして、ソクラテスはこう言い切った。
「日本のサッカーを見ていると、将来的にどれだけ進歩しても、W杯の優勝を争うような国になることができない、致命的な欠陥があるように思える」
「えっ、どういうこと?」
 ぼくは身を乗り出した。
 ワールドカップに初出場する日本代表は、フランス大会では勝ち点1をとれるかどうかというレベルだろう。そんな国に対して優勝という言葉を出したことが意外だった。
 そして、将来的にも優勝を争うことができないとは——。
(写真:南米のサッカーは激しく、マリーシア(ずるがしこさ)があると言われる。日本との差はそこなのか――)

(つづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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