ソクラテスは、日本を訪れたことがあった。
「六本木は楽しかったね。朝方、六本木のバーで飲んでいたら、1982年のワールドカップのビデオが偶然にスクリーンに映ったことがあった。みんな盛り上がってみていた。嬉しかったね、あの代表が日本でも愛されていたというのは」
 82年大会の代表には、ソクラテスやジーコの『オ・クワトロ・オーメン・ジ・オウロ』(黄金の中盤)が揃っていた。

「日本のサッカーはブラジルのサッカーに学ぼうとしているが、この二つの国には全く違っているところがある。人種の多様性だ。ブラジル代表を眺めて見ればいい。黒人、白人、混血、身長の高い選手、低い選手、様々な種類の選手がいる。日本のサッカー選手は、どれも似ている。中肉中背で、スピードと技術があり、規律を守る。ブラジルの強みは、あるタイプの選手が通用しなければ、全く違ったタイプの選手を交代させることができる。日本は、交代しても代わり映えがしない。あまり交代の意味がないんだ」
「世界各国から移民を受け入れてきたブラジルの強みだね」
 ぼくの返事にソクラテスは頷いた。
「ブラジルと同じことができるのがフランスだ。フランスも白人、黒人、大きい選手、小さい選手と種類の多くの選手を揃えることができる」
「身体的能力の優れたアフリカにルーツを持つ黒人選手と、規律を重んじる白人選手はいい組み合わせだ」
「ブラジルは黒と白だけでなく、様々なタイプの選手がいる。サッカーには多様性が必要だ。国家としての成り立ちが違うので、当然だが、日本には多様性は少ない。だから、ある一定より上を目指すことは難しいだろう」
 「ただ」とソクラテスは付け加えた。
「これは総論だ。日本代表のサッカーをきちんと見てみたいと思っている。そうすれば、もっと詳しく話ができると思うよ」

 話を聞き始めて4時間以上が経とうとしていた。二人とも相当ビールを飲んでお腹が膨れていた。ポルトガル語で真剣に聞きながら、飲んでいたこともあって、酔いが回りつつあった。日が暮れる前にサンパウロに戻らなければならない。残念だが、話を終えることにした。
「今度、あなたに日本代表のビデオを送るよ。それを見て感想を聞かせてもらっていいかい?」
「もちろん」
 ソクラテスは頷いた。
 会計を頼むと、ソクラテスは財布を出そうとした。
「今日は仕事だから、俺が払うよ」
「いいのかい?」
 自分で払う気だったのか、ソクラテスは意外な顔をした。
(写真:ブラジルといえば、技術のある選手を思い浮かべるが、実は様々な選手がいる(写真はフラメンゴのユースチーム))

 次にソクラテスに会ったのは、ワールドカップが近づいた98年3月のことだった。今度はぼくが所属している出版社からの依頼だった。ワールドカップに合わせて作るムックの中で、ソクラテスに話を聞きたいという。
 ぼくは南米大陸を一周している最中で、ペルーのリマにいた。わざわざサンパウロに戻りたくはなかったが、リマとサンパウロの往復航空チケットを編集部が持つという。6月から日本に戻るので、そろそろ仕事に頭を慣らした方がいいかもしれない。ぼくはリマからサンパウロに戻ることにした。
 ソクラテスのところには、日本がワールドカップ出場を決めた、ジョホールバルでのイラン戦のビデオを送っていた。

「ビデオを見させてもらった。日本のサッカーは、非常に気に入ったよ」
 ソクラテスは日本のサッカーは思った以上に良質でスピードがあると褒めた。
「特に八番がいい。ナカタ(中田英寿)って言うのか? 彼が頭を使って、ゲームのスピードをコントロールしていた。残念ながら日本には、頭を使う選手がほとんどいなかった。そんな中、ナカタは光っていた」
「他の選手はどう?」
「中盤のもう一人(名波浩)もよかった。フォワードでは、カズは良かったが、交代で入った城の方が気に入った。一番の問題はセンターバックだな。ハイボールに弱すぎる。キーパーも問題だ。サイドバックは攻撃はいいが、守備が下手だな」
(写真:フランスもまた移民国家である。ソクラテスは98年大会の優勝予想で、それほど評価の高くなかったフランスを挙げていた)

 日本はワールドカップでアルゼンチンと同じ組に入っていた。アルゼンチン代表について尋ねてみた。
「昨年、アルゼンチンは2試合しか見ていない。ぼくが見た試合は調子が良くなかった。良くはなかったが、強いチームだ。もちろん本大会ではそれなりのチームに仕上げてくるだろう。
 今の段階では、どんなチームを作ってくるか、まだ分からない。ただ、オーソドックスなシステムをとるだろう。つまり、4−4−2だ。アルゼンチンのフォワードは技術的にはそれほどでもないが、速くて強い。バティストゥータがいい例だ。
 中盤にはオルテガという才能ある選手がいる。オルテガは世界的な選手だ。レドンドが入ってくれば、かなり厄介だろう。アルゼンチンは、伝統的にサイドバックが上がってくることはない。アルゼンチンのサイドバックは基本的に守備の人間だ。サイドからの攻撃は恐れる必要はない」
 アルゼンチンの攻撃をどう抑えればいいのかと尋ねると、ソクラテスは少し考えてから、こう答えた。
「アルゼンチンの関係者がこのビデオを見れば、日本の弱点はすぐに分かる。ハイボールだ。間違いなくハイボールを放り込んでくる。センターをどう固めるか。イラン戦では、二人のセンターバックをカバーする選手がいなかった。いいフォワードならば、簡単に振り切ることができるだろう。二人をサポートする選手、リベロを置いたほうがいい。さらにセンターバックの前に、二人の中盤の選手を置き、スペースを消すこと」
 そして、ソクラテスは中田の将来を予見した――。

(つづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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