「他の選手が“速いな!”と驚いている時でも、僕の目には遅く見えることがある」
 サラリとイチローは言った。
 その口ぶりには気負いも、執着もない。
 目深にかぶった帽子のひさしから時折のぞく目はギリッとしてりりしいが、人を威圧するほど鋭くはない。
 今から45年前の夏、“打撃の神様”川上哲治はこう言って周囲を驚かせた。
「ボールが止まって見える」
 多摩川のグラウンドで緩いカーブを打っている時、ふっと自分が打つポイントでボールが止まった。おやっと思って、同じボールを要求すると、また止まる。次のボールも、また次のボールも……。神様と呼ばれた男でも、そんな神秘的な体験は初めてのことだった。
 それと似たような体験をした者は他にもいる。生涯で日本最高の3085安打を記録した張本勲である。
 全盛期、張本はボールの縫い目で球種を判断することができた。縫い目が見えなかったら、ボールにスピンがかかっているからストレート、縫い目が横だったらシュート、縫い目が粗く見えればスピンがかかっていないからフォーク――。ボールがホームベースを通過する前に勝負は決まっていた。

 掛布雅之にも同じような経験がある。打率3割3分1厘をマークした4年目のシーズンの開幕戦でのことだ。スワローズ松岡弘の投じたボールの縫い目がはっきり見てとれた。掛布によれば、あたかもボールから「打って下さい」とささやきかけるようだった。素直にバットを振ると、打球は手にやさしい感触を残してライトスタンド中段に突き刺さった。

 さて、海の向こうではどうだろう。
 米大リーグの名物審判だったロン・ルチアーノは自伝『アンパイアの逆襲』(井上一馬訳・文春文庫)の中で、大リーグ最後の4割打者テッド・ウィリアムズについて次のように述べている。
 それは1972年、ワシントン・セネタースの春季キャンプでの出来事だ。ウィリアムズは54歳、セネタースの監督をしていた。
 ――彼がバットの胴の部分に松やにを塗って打席に入る。投手には豪速球を投げる新人投手が指名された。私は悲しい結末を予測して大きく嘆息をつかずにはいられなかった。
 ところが、若い投手がボールを投げると、ウィリアムズはセンターへロケット弾を打ち込んだのである。「縫い目はひとつだ」。彼が肩ごしに自信たっぷりに叫んだ。
「そうだな、テッド」。私は素直に同意した。私には彼がまだバットにボールを当てることができるだけで満足だった。が、もどってきたボールを見ると、彼のいうとおり縫い目のひとつに松やにがついていた。
 彼がつぎのボールを打った。「あの×××な縫い目の5mm上だ」
 たしかに縫い目のちょうど5mm上に松やにの跡がついている。その調子で彼は7球のうち5球までを見事に言い当てた。――

 その若手投手の速球が時速140kmだと仮定して、ピッチャープレートから18.44m先のホームベースに到達するのに0.48秒の時間がかかる。わずか0.48秒。スイングに0.2秒(一流打者の平均)要するとして、ウィリアムズはわずか0.28秒間でボールの情報を正確に読み取り、反応したということになる。
 これを神業と言わずして何と言おう。米大リーグ史上9位の生涯打率3割4分4厘を残したウィリアムズならではの逸話といえるだろう。

 海の向こうのエピソードをもう一つ――。かつてピート・ローズはバッティングのコツを30分間のテープにまとめてはどうかという依頼を受け、こう答えたことがある。
「30分? そんなにいらないよ。“ボールを見て、ボールを打つ”これで終わりだよ」

 言葉にすれば、極意の説明はたやすい。しかし、活字にすればそれは途方もなく難しい。果たして「目」はバッティングにどのような影響を及ぼし、どのような役割を占めるのか――。ケース・スタディにイチローを指名し、以下に分析を試みる。
 昨シーズン、イチローは前人未到の210安打の日本新記録を達成した。546度打席に立ち、三振はわずかに53個。これはパ・リーグの打撃30傑の中でも5番目に少ない数字である。
 一言でいえば「目がいい」ということになる。さらに詰めていえば「動体視力」(本人あるいは対象が動いているときの視力)がすぐれているということになる。

 数あるスポーツの中でも、とりわけ野球におけるバッターやテニスプレイヤー、アイスホッケーのゴールキーパーは、時速百数十kmの小さなボール(パック)にミクロのタイミングで反応しなければならない。
 その際に問われる視覚能力として「静止視力」(静止したままで動かない物体を読み取る力)より「動体視力」の方が上位にくることは言うまでもない。

 だが、「動体視力」の内実については、ジャーナリズムの現場においてさえあまりにも理解が浅く、それゆえ安易に語られすぎるきらいがある。考察を深めるために、まずデータにあたってみたい。

(中編に続く)

<この原稿は『Number』(文藝春秋)1995年7月20日号に掲載されたものです>
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