ジャンボ鶴田は子供の頃から、ひとつの夢を抱いていた。日本代表としてオリンピックに出場することである。大学のバスケットボール部に入部した以上、その競技で日の丸のユニホームを着るのが現実的な目標だ。

 しかし、当時のバスケットボールはアジアで韓国やフィリピンが強く、日本は予選を勝ちあがる可能性が少なかった。
「大学4年で開かれるミュンヘン五輪に出場するには、どのスポーツをやるべきか……」

 柔道、ボート、ボクシング……。個人の力で出場できる競技種目を徹底して調べ始めた。個人競技に絞ったのは、「個人の実力が足りなくて出場できないのなら納得いくけど、団体の中の一員として出場できないのは我慢ならなかった」からだ。

 唯一、可能性があったのがレスリングだった。100キロ級と100キロ超級には有力な候補選手がいなかったのだ。

「それで雑誌の紹介記事にあった自衛隊体育学校に入れてもらい、週3日、そこへ通ったんだ。残りの3日はボディビル道場で体づくり。ちょうど親戚がセメント屋だったため、そこでセメント袋をかつぐアルバイトをして、生活費の足しにしていたんだ」

 こうした努力の甲斐あって、ついにジャンボはミュンヘン五輪レスリング・グレコローマンの日本代表となる。当初は無謀と思えた挑戦だったが、4年計画の果実を彼はしっかりと手にしたのである。

※このコーナーでは各スポーツの栄光の裏にどんな綿密な計画、作戦があったのかを二宮清純が迫ります。全編書き下ろしで毎週金曜日にお届けします。



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