水着の進化の歴史は、いかに水の抵抗を減らすかの戦いでもあった。泳ぎに邪魔なものとして小型化の一途をたどった時代を経て、撥水性の素材を使ったり、体の凹凸を抑えたり、整流効果をもたせたりと、抵抗を少しでも軽減すべく技術開発が行われてきた。近年のレーザー・レーサーや、ラバー素材のスイムスーツによって生み出された数々の快挙を見ていると、水着は選手にとって泳ぎをサポートしてくれる存在になっている。


「抵抗が少ないということは、それだけ効率よく泳げているわけです。運動生理学の観点からみてアスリートの体の中にも変化が生じているに違いない。それを科学的に証明したいと思っていました」
 びわこ成蹊スポーツ大学の若吉浩二教授は今夏、ひとつの実験を行った。自身もマスターズの大会に参加するスイマーである。

「実は1月にバイオラバーの水着を着用して大会に出たところ、自分でもビックリするようなタイムが出たんです。50m自由形で26秒3を目標に泳いだら、なんと25秒6。想定より0.7秒も速かった。4、5年前と同じタイムで感動を覚えました」
 着用した印象もこれまでにないものだった。体が軽く、水を切る感覚がした。同じ力を出していても前にどんどん進む。いったい山本化学工業製のバイオラバーとこれまでの水着では体にどんな違いが生まれているのか。それが実験の動機だった。
(写真:水の抵抗を軽減するバイオラバースイムマーク?の断面図)

 実験は女子大学生の選手8名を集めて行われた。各選手は山本化学工業製のバイオラバーを使った3種類の水着と、撥水性のある素材を使った水着をそれぞれ着用し、200メートルを泳いでもらった。その後、血中乳酸値と心拍数の測定を実施し、比較した。

「全力で泳いだタイムは、バイオラバー水着のほうが速くなる。これでは同じ条件にならないので、ペースメーカーをつけて泳ぐ速度を最大スピードの80%、85%、90%、95%とセーブして一定にしました。ここが今回の実験のポイントです。同じ速度で泳いだにもかかわらず、血中乳酸の値に違いが出れば、水着によってエネルギー効率に差が出ていることになりますから」

 全選手が4種類の水着を着用し、速度を変えて200メートルを泳いだ。疲労によって数値が変わらないよう、数日間、インターバルをとりながら、実験は約1カ月間続いた。その結果は若吉教授の予想通りのものだった。

 着用した水着によって心拍数に大きな差異はなかったものの、血中乳酸の数値では顕著な差が出た。特に最高速度(自己ベスト)の90%で泳いだ場合は、バイオラバースイムマーク?での血中乳酸は2.95mMだったのに対し、撥水水着では3.88mM。最高速度の95%で泳いだ場合はマーク?が8.35mM、撥水水着が11.05mMと、いずれもバイオラバーのほうが血中乳酸の値が低かった。速度が上がれば上がるほど、その違いは明らかだった。

 乳酸といえば、疲労物質との認識が一般的だが、近年のスポーツ科学の世界では見方が変わってきた。現在では、乳酸は体内エネルギーを生成した際にできる老廃物ではなく、糖分が変化し、さらなるエネルギーをつくるための源だと考えられている。乳酸ができるのは、運動をしてエネルギーを消費している証拠でもあるのだ。

 つまり、血中乳酸値が低いということは、それだけ体内のエネルギーを使わずに泳いだと分析できる。逆に血中乳酸値が高ければ、多くのエネルギーを消費し、体がさらなる供給を必要としていると判断できる。
「バイオラバーを着用したほうが、同じスピードで泳いでも使われているエネルギーが少ない。それは余力が残っていると言い換えることもできます。だからこそ、より速く泳げるんです」
 
 若吉教授は、車に例えて説明を続ける。
「泳いでいる人間の身体能力は変わりませんし、体格も変わっているわけではない。つまり、車のエンジンや足回りにあたる部分は一緒です。しかし、水着によって、いわゆる“車体形状”が変化した。その結果、“燃費”が向上したと言えるでしょう」

 また、この実験ではもうひとつの発見があった。同じバイオラバー素材でも、昨年末に発売されたマーク?を着用した場合の血中乳酸値がもっとも低いのである。マーク?は従来のものと比べ、水との摩擦を軽減している点も大きな特長だが、チタン合金層を中間に挟むことで、体温の放熱を約30%防止することに成功している。冷たい水中でも体内の熱が逃げないため、運動中の血液循環はより活発になる。
「血流が促進されたことで、生成された乳酸が新たなエネルギー源として取り込まれる。その結果、数値が低くなったのかもしれません」
 若林教授は、そんな仮説も立てている。
(写真:マーク?の構造、真ん中がチタン合金層)

 今回の実験から、水着素材の違いによって単にアスリートのパフォーマンスのみならず、その体内に大きな変化が生まれていることが明らかになった。まず、水の抵抗を小さくすることで、同じ泳ぎでもエネルギーロスが少なくなる。さらには遮熱効果を持たせることで、体内のエネルギーをより効率よく使えている可能性もある。これは競泳のみならず、他のスポーツにも応用可能な研究だ。

「陸上でもバイオラバーの素材のウェアを着用することで、効果があるとみています。エネルギー効率の観点はもちろん、断熱性が高ければ、体の内側にある深部筋も温まって、動きがよくなりますから」
 より速く、より高く、より強く――アスリートたちの欲求には限界がない。その技術は各競技で更なる高みを目指す者たちを、これからも支え続けていくに違いない。

 山本化学工業株式会社