ナゴヤドームでこのベテランが打席に向かうと、もう、それだけで、割れんばかりの拍手が起こる。
 今季限りで引退することをファンが知っているからだが、もちろんそれだけではない。
 立浪和義ならなんとかしてくれるとの期待感がファンにはあるのだ。

 9月9日現在、63試合に出場し、52打数17安打、打率3割2分7厘、打点15。左の台だの切り札として、何度も窮地に追い込まれたチームを救った。
 さる8月19日の広島戦ではバースデータイムリーを放った。8回裏1死満塁の場面。得点は5−3。青木高広のカットボールを左方向にはじき返し、勝利を決定づけた。“不惑の一振り”で中日は対広島13連勝を飾った。
「僕にとっては(引退への)カウントダウンに入っている。一打席一打席、もう一回集中力を高めて入っていきたい」
 と立浪。不惑を迎えたが、技術面での衰えは微塵も感じられない。

 初めて立浪を見たのは彼が高校3年の春の甲子園だ。彼はPL学園の3番ショートとして出場した。
 2年上には清原和博や桑田真澄がおり、甲子園を2度制覇したこのチームと比べると立浪の世代のチームは力が数段、落ちると見られていた。
 ところが、どうだ。やはりPLはPLだった。苦戦しながらもセンバツを制すと、夏も優勝し、春夏連覇を達成してしまった。
 同期には橋本清(元巨人)、野村弘樹(元横浜)、片岡篤史(元阪神)らがいた。まさに“プロ予備軍”と呼べる強力チームだった。
 立浪は体こそ小さかったが、野球センスのかたまりのように映った。バッティングはシュアで左投手をも全く苦にしない。しかも俊足、攻守。
 センスあふれるアマチュアのプレーヤーを、プロのスカウトはよく「三拍子そろった選手」と表現するが、そのほとんどは低いレベルでこぢんまりまとまっている。
 だが立浪の場合、すべてのテクニックがプロと遜色ないレベルにまで達しており、早くから完成品を見る趣があった。
 高卒ルーキーとして1軍開幕戦でスタメン、フル出場したのは、中日において立浪ひとりだけである。

 昨年から打撃コーチ兼任となった。何度か若手を教えるシーンを目にしたが、体が動く分、説得力がある。
 若手にしてみれば“動く教科書”だ。本人は「若手に教えることで、自分も基本を確認することができる」と語っていた。
 近年では珍しくなったワンチームプレーヤー。球団は「将来の監督候補」と考えており、早ければ落合博満監督との契約が切れる2012年から指揮を執るのではないか、との見方もある。
 何はともあれ、“動く教科書”を目の当たりにできるのも、もう、あとわずかだ。
 天才肌のプレーをしかと目に焼きつけておきたい。

<この原稿は2009年9月27日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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