“ポスト浜口”を世界の舞台でアピールすることはできなかった。
 9月21日からデンマークのヘルニングで行われたレスリングの世界選手権。女子72キロ級に出場した佐野明日香は1回戦でディナ・イワノワ(アゼルバイジャン)に敗れた。
「“結局、世界選手権は浜口じゃないと勝てないんだ”と思われるのがイヤでした。絶対にメダルを獲って、“佐野でもできるんだ”とみせたかったんですけど……」
 世界選手権初挑戦の27歳は唇をかみしめた。
 女子72キロ級といえば、浜口京子。日本の女子レスリング界では長い間、この勢力図が変わらないでいた。全日本選手権は2007年まで12連覇。世界選手権にも1997年以来、出場を続け、金5個、銀2個、銅2個の成績を残した。五輪では04年のアテネ、08年の北京と2大会連続の銅メダル。父・アニマル浜口とのコンビで、女子レスリングの存在を日本中に広めた。

 しかし、北京五輪とその後の世界選手権を終えた浜口は充電期間に入る。女王不在の中、浜口が連覇を続けてきた全日本選手権を昨年12月に制し、4月の全日本女子レスリング選手権でも優勝を飾ったのが佐野だった。国内で“ポスト浜口”に名乗りをあげ、世界選手権のキップを手中にした。
「たまたま浜口さんが休養中だっただけで、自分が強いから出られたわけではない。佐野がメダルを獲れるとは誰も思っていなかったでしょう」
 代表が決まった時から、その思いが強かった。代表合宿に行っても実力が伴っていないのに選ばれた気がした。「オマエの力ならメダル獲れるぞ」。周囲の言葉も本意ではないように聞こえた。それだけに勝ちたかった。

 「勝てる」はずの初戦で敗退

 初戦のイワノワは、これまで対戦経験がなく、名前も顔も知らなかった。大会1カ月前にアゼルバイジャンで行われたゴールデン・グランプリにも出ていなかった。「あの選手、誰だろうねという感じでした」。マットで向き合い、組み合った瞬間、「勝てる」と確信した。だが、その確信は「負けてはいけない」という固さにつながった。思うように足が動かず、自分から攻撃をしかけることができない。

 結局、両者ポイントをとれないまま、第1ピリオドの2分間が終わった。レスリングのフリースタイルでは0−0の場合、ボールピックアップ(抽選)を行い、一方の選手に攻撃権を与え、もう一方の選手が防御に回る形で決着をつける。攻撃側がポイントを奪うか、防御側が30秒間守りきるかで、そのピリオドの勝者が決まるルールだ。当然、攻撃権を得たほうが有利である。佐野は不運なことに防御側になった。守りきれずポイントを失い、最初のピリオドを失った。

 この世界選手権、佐野にはどうしても戦いたい選手がいた。世界選手権3連覇中のスタンカ・ズラテバ(ブルガリア)だ。北京五輪では銀メダルを獲得した。浜口も06年、07年と連続で敗れている。順当に勝ち進めば、3回戦で当たる予定だった。
「頭の中では1回戦に集中しようと思っていたのですが、どこかでズラテバのことばかり考えていたんですよね」
 そのためには、この1回戦で敗れるわけにはいかない。

 第2ピリオドが始まった。後がない佐野は立ち上がりから果敢に攻めた。タックルが決まり、1点を先制。さらに攻撃をしかけたいところだったが、リードによって、その心には変化が生じていた。「このまま守って、最終ピリオドに」。気持ちが守りに入れば、体は前に出ていかない。ピリオドの後半に1点を返され、追いつかれた。
「今度は攻めなきゃ、攻めなきゃと思って空回りしてしまいました」
 試合終了のブザーが鳴った。1−1の同点の場合、警告ポイントのケースを除き、最後に得点を獲得した選手がピリオドを制する。つまり、追いついたイワノワが、このピリオドの勝者だ。第1、第2ピリオドを失った佐野は、不完全燃焼のまま初戦敗退となった。

 大切なのは攻める勇気

 代表に選ばれてから、過去に経験がないほどハードな練習を積んだはずだった。
「もう無理だと思うことも何度もありました。いっぱい泣きました。本当、早く選手権が終わらないかなと思ったほどです」
 佐野は身長168センチ、72キロと日本人選手では大柄だ。本人曰く「日本で私より大きい選手は浜口さんだけ」。しかし、世界を見渡せば体格では相手に劣る。大きな選手と対戦経験を積むべく、男子を相手に練習を重ねた。体重も普段から71キロと減量いらずの体のため、ごはんをたくさん食べた。世界挑戦のため、できる限りの準備はやった。
「でも世界選手権という大きな舞台で出せなかったら練習した意味はない。あんだけ練習したのに、という後悔しかないです。“世界選手権に出られるだけでもすごいこと”評価してもらえる方もいますが、これだけやれた、ここまでできた、という感覚はちょっとしかありません」
 
 今回の世界選手権で最も注目を集めた日本人選手は、女子55キロ級に出場した吉田沙保里だ。アテネ、北京と2大会連続で金メダルを獲得。世界選手権は6連覇中。世界が認める女子レスリングの第一人者である。佐野は今大会、同じ日本代表として吉田の姿を間近で見ることができた。
「傍から見れば余裕で勝てそうに見えるんですけど、試合前は誰よりも緊張している。それでもアップ中の取材やインタビューをイヤな顔せずに受けている。その精神力がスゴイと感じました」
 
 女王の強さの秘訣はどこにあるのか。
「攻めることしか考えていないんです。男子の試合を一緒に見ていたのですが、“攻めないと勝てない”“勇気がないと勝てない”という話をずっとしていました。“私は攻めないと勝てない。だから攻めるわ”と」
 打倒・吉田で研究を重ねてくる海外の相手に、タックルをどんどん仕掛け、勝ち上がった。5試合で1ピリオドも奪われることのない完全Vだった。
「相手の動きを待ったり、合わせたりしない。たとえタックルを返されてポイントを獲られるリスクがあっても、3点を狙って獲りにいく。結局、“自分にはタックルしかない”という強い信念がある。沙保里ちゃんは同級生なんですけど、本当に尊敬しました」
 勇気を持って攻め切れなかった自分と、攻め切って女王の座を守った吉田――。世界を制するために必要なものが、よく理解できた気がした。

 佐野はもともと柔道の選手である。レスリングに転向したのは3年前だ。腕には組み合った際にひっかかれた無数の傷跡がある。手のひらは厚く、固いマメもある。
「女の子の手じゃないって、よく言われます」
 そう笑った顔は20代の若者そのものだ。試合でみせる表情とはかなりギャップがある。

「レスリングを始めて、ここまで来るのは早かったですね。練習も技術も経験も、まだまだ足りないと思い知りました。浜口さんのすごさを改めて感じました」
 苦しい練習の成果を出せなかった悔しさ、“浜口じゃなきゃ勝てない”との声を覆せなかった悔しさ……。吐き出したい思いをグッと飲み込み、佐野は前進を続ける。

(第2回につづく)

佐野明日香(さの・あすか)プロフィール>
1982年5月27日、愛媛県宇和島市出身。小学校1年生から柔道を始め、小6で愛媛県大会優勝。中学時代には四国大会を制す。宇和島東高−帝京大と進み、大学では全日本学生選手権で団体優勝、講道館杯5位などの成績を残す。自衛隊入隊後、ケガもあって引退も考えたが、レスリングに転向して再起。06年に初めて出場した全日本選手権の72キロ級で浜口京子に敗れるも2位に入る。その後は、08年にワールドカップの日本代表に選ばれるなど国際大会も経験。同年の全日本選手権、09年の全日本女子選手権でいずれも初優勝した。ワールドカップにも2年連続で出場し、アジア選手権で2位、オーストリア女子国際大会3位入賞。9月の世界選手権に初出場を果たす。身長168cm、72キロ。





(石田洋之)
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