ソクラテスは「ワールドカップは特別な大会だ」と強調した。
「ブラジルではワールドカップは情熱そのものなんだ。選手は皆セレソンとしてワールドカップに出ることを夢見る。俺も大会のずっと前から、頭の中はワールドカップのことで一杯で、始まるのが待ちきれなかった。ワールドカップの試合前にブラジル国歌を聴くと、代表の重みを感じたね。他の大会や試合とは全く違っていた。ワールドカップのトーナメントが進めば進むほど、世界中の注目が集まるのも感じた。本当にいい気分だった」

(写真:ワールドカップ、横浜スタジアムの記者席にて)
 中田英寿の人生はワールドカップで変わるだろうとソクラテスは予測した。
「お前の送ってくれたビデオで、俺は中田を知った。中田がワールドカップに出れば、世界中の人が同じように感じるだろう。これだけ才能ある選手が日本にいたんだと。ワールドカップに出れば、誰にも知られていなかった選手でも世界中に名前を売ることができる」
 この時、中田は「近い将来、国外のリーグでプレーしたい」と語っていた。
「ブラジルのどこのチームに入っても、10番を付ける能力がある。今のブラジル国内には中田のような選手はいないから、みんな欲しがるだろう。ちょっとバルデラマに似ている。バルデラマよりも中田は走る。バルデラマは元々走らない選手だったが、今ではいつも止まっているかのようだ。中田やバルデラマのような選手は、昔は沢山いたんだが、最近はほとんどいなくなった」
 バルデラマは、派手な髪型で知られたコロンビア代表の名手である。ソクラテスは中田のことが本当に気に入ったようだった。
「中田のいいところは、考える力があることだ。日本代表選手は速く走るが、頭がない。考える速度が遅いからプレーが遅い。肉体的に速く走る選手を中田が使うことができれば、チームのプレー速度が速くなる。具体的には、足の速いツートップと左右のサイドバックを中田がコントロールすれば、いいチームになる。今回のワールドカップはチャンスだ。どこの国も中田のことを知らないだけに、厳しくマークをしてこないからな」
 ワールドカップが近づき、ブラジルのテレビ局は特別番組を放映していた。ソクラテスはそうしたサッカー討論番組に出演すると、「日本には中田という才能ある選手がいる」と語った。
 中田をソクラテスに紹介したのは、自分だと鼻が高かった。


 その後も機会があるとソクラテスに話を聞いた。2002年のワールドカップが終わった後、優勝したブラジル代表の勝因を聞くと、首を振った。
「今回の大会は、レベルが非常に低かった。レベルが低ければ、ブラジルにチャンスがある。2、3人の試合を決めることのできる選手がいるからね。最近のワールドカップは以前の大会とはずいぶん変わってきている。本当にサッカーの力を計ることができるならば、今回の大会の優勝はフランス代表かアルゼンチン代表だった。フランス代表は初戦で負けてしまい、本来の力を出すことができなかった。この大会がおかしな大会だったことの象徴が韓国が準決勝まで進出したことだよ。もはやワールドカップの価値はなくなってしまったね」
(写真:ソクラテスは、一度だけジーコにペナルティキックの最終キッカーを譲ったことがあった)

 フィリップ・トルシエが率いた日本代表はグループリーグを突破した。日本代表で目立った選手がいたかと聞くと、やはり「中田だった」という。
「他に気に入ったのは、名前は覚えていないけれど、背番号5番の選手。稲本っていうのか? 稲本は力強くてサッカーを知っていた。トルコとの試合で、稲本を下げた理由が分からない。俺が監督ならば、稲本の一本足だけでもピッチの中に入れておいた」
 稲本のプレーからリーダーシップを感じたと言った。
「技術的に優れているのは中田だ。稲本はリーダーとしての素質があるように思える。リーダーというのは技術があるとかないとかの問題じゃないんだ。チームから一番力を引き出すことのできる人間だ。誰がチームのリーダーなのかというのは重要な問題だ」
 リーダーが必ず引き受けなければならない責務があると言う。
「ペナルティ戦で5番目に蹴ることだ。1番目、2番目の人間が外しても、まだ取り返しがつく。5番目の人間の失敗はどうにもならない。いいシュートを持っているだけでは駄目だ。その男が失敗したら、諦めが付く人間が5番目に蹴ることができる。俺たちの時代にも偉大なリーダーがいた」
「それは誰?」と聞くと、ソクラテスは悪戯っぽく笑った。
「俺だよ」
 ソクラテスは18才からペナルティ戦では最後のキッカーを任されてきたが、一度だけ、ペナルティ戦で五番目を譲ったことがあるという。
 86年ワールドカップの準々決勝、フランスとの試合である。
 ミッシェル・プラティニがいたフランス代表とブラジル代表は双方攻撃的なチームで、まさに死闘だった。カレッカのゴールでブラジルが先制したが、四十一分にプラティニのゴールでフランスは同点に追いついた。試合はペナルティキック戦に持ち込まれた。
 PK戦の前に、ソクラテスは監督のテレ・サンターナから「最後のキッカーをジーコに譲ってくれ」と声を掛けられた。試合中、ジーコはペナルティを外していた。ジーコは責任を感じているはずだと、テレ・サンターナは気を遣ったのだ。
 ところが――。
 最後に蹴ったジーコはゴールを決めたが、ブラジルはPK戦3対4で敗れた。ソクラテスにとって、これが最後のワールドカップとなった。

(つづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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