子どもの頃からの憧れの選手という以上に、ソクラテスと話しをすることはぼくにとって楽しみだった。
 ぼくは様々な質問をソクラテスに投げかけた。
――どうして医学部に行こうと思ったの?
「ブラジルの社会を見れば分かるだろ。この国にとって医学は重要だ。自分がやるべきだと思ったんだ」

――サッカーは単なる趣味だったということ?
「その通り。学生時代は、サッカーよりも勉強の方がずっと大切だった。
 サッカー選手になったのは、俺の人生の中では“事故”みたいなものさ。大学が終わってからプロになったんだ。最初は田舎のクラブ(ヒベロンプレットにあるボタフォゴ、リオの名門クラブ・ボタフォゴとは同名の別クラブ)だったから、なかなか代表に呼ばれなかった。あの当時は、大きなクラブからしか代表に招集されなかったんだ」
――ブラジルのサッカー界は現在問題を抱えている。若い選手がどんどんブラジルから欧州のクラブに移籍している。それについてあなたはどう思う?
「アーティストが作った作品ではなくて、アーティストそのものを売っている状態だ。全く馬鹿げている。ブラジルのクラブは経営している人間がプロじゃない。クラブの幹部の懐は潤っているが、クラブの金はなくなっている。もし、国外でプレーしている選手を全部ブラジルに戻すことができれば、どんな素晴らしいリーグになるか。それを世界中に売ればいい。発想そのものが間違っているんだよ」
――ブラジルとアルゼンチンの最大の違いは?
「ブラジル人は他の国で長く生活しても、必ずいつかブラジルに帰ろうと思う。アルゼンチン人はそう思わない。ブラジルは温かくていいところだ。いいオンナもいるだろ?」

 ブラジルでソクラテスが有名になったのは、サンパウロの名門クラブ、コリンチャンスでプレーで頭角を現したときからだ。白と黒のユニフォームのコリンチャンスは、サンパウロで最も熱狂的なサポーターを有している。ちなみに、ぼくも応援しているクラブだ。
 コリンチャンスのサポーターをコリンチアーノと呼ぶ。コリンチアーノは、ソクラテスのいた頃のコリンチャンスが一番素晴らしかったと口を揃える。
 ソクラテスのいたコリンチャンスは、デモクラシア・コリンチャーノと呼ばれていた。直訳すると「コリンチャンスの民主主義」という意味になる。
 この当時のサッカークラブでは選手に対する信頼は少なかった。試合の前には、ホテルに閉じ込められることになっていた。試合に集中するためというのが表向きの理由だったが、実際は放っておくと碌なことをしないとクラブの人間が考えたからだった。
 ソクラテスはチームに「民主主義」を持ち込んだ。様々な議題を選手同士で話し合い、決めた。選手の話し合いの結果、自分たちが自覚を持つことを前提に、チームでホテルに拘束しないことにした。他のクラブから選手を補強する場合も、その選手を獲得するかどうか選手の投票で決めたほどだった。
 もっとも権利を与えられれば義務は生じる。コリンチャンスは、攻撃的なサッカーで強かった。選手が自由に行動しても文句は出なかった。
 このデモクラシア・コリンチァーノが終了したのは、ソクラテスがイタリアのフィオレンティーナに移籍したことがきっかけだった。
 コリンチャンスに不満だったのか。 
 ぼくが尋ねると、ソクラテスは強く首を振った。
「そうじゃない。社会的な状況が問題だった。ブラジルは85年まで軍事政権だった。民政移管が決まって総選挙が行われたんだ。ところが俺の思っていた結果にならなかった。この国にいても仕方がないと思ったんだ」
(写真:ブラジルでは若く才能ある選手が現れると、すぐに国外のクラブに青田買いされる。ブラジルの観客はいつも悔しい思いをしているのだ)


 ソクラテスはその前から世界中のクラブから誘いを受けていた。
「バルセロナにはずいぶん前から誘われていた。他に、イタリアのインテル・ミラノとナポリからも話があった。フィオレンティーナに決めた理由はただ一つ。総選挙の後、俺がこの国から出たいと思っていたときにオファーをしてくれたんだ」
 全く——。
 ソクラテスという人間は、他のサッカー選手と全く違った基準で自分の進路を決めてきたのだと改めて思った。
 しかし、イタリアでは成功を収めることはできなかった。
「イタリアの文化は好きだった。ただ、社会に自由がなかった。堅苦しいのはどうも苦手なんだ。気候も合わなかった。冬の寒さで、筋肉は落ち、足の爪が全部抜け落ちてしまったぐらいなんだ」
 イタリアでは八百長がまかり通っていたという。
「ブラジルで試合を買う場合は、せいぜい、主審とゴールキーパーを買収するぐらいだ。イタリアでは、試合前にキャプテンが“今日は引き分けだ”と宣言したときは驚いたね。二チームとも買収していたんだ。イタリアではトトカルチョ(サッカーくじ)があり大きな金が動くからな」
(写真:キューバで売られているチェ・ゲバラのポストカード。革命に命を捧げたこのアルゼンチン人をソクラテスは敬愛している)

 こんな男は子どもの頃、どんなサッカー選手に憧れたのだろう。
 ぼくの質問を聞くと、笑いながら首を振った。
「憧れた選手なんていないよ。僕のアイドルは後にも先にも三人しかいない。ジョン・レノン、フィデル・カストロ、チェ・ゲバラだ」
 ソクラテスは、尊敬するフィデル・カストロにちなんで、六人目の子供には「フィデル」という名前をつけている。
 目の前のひげ面のソクラテスを見てぼくは気がついた。
「ねぇ、ドットール(ポルトガル語で医師。ソクラテスの愛称)。もしかして、医者になったのも、髭を生やしているのも、チェ・ゲバラの影響?」
 ソクラテスは恥ずかしそうに下を向いた。
「まあね」
 ソクラテスは現代に生きるチェ・ゲバラなのだ。
 サッカー界の枠に収まらない魅力的なこの男には、これからも話を聞いてみたいと思っている。

(おわり)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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