ぼくの仕事は勘違いされやすい。ブラジルやフランス、世界各国好きな場所を気楽に旅しているように思われるらしい。
 確かに、日本を空けることは多い。長い年で4カ月、だいたい平均年のうち2、3カ月は国外にいることになるだろう。
 ただ――、気楽というのとは違う。
 ぼくの場合、全て編集部の仕切りで動くことは少なく、自分のやりたい企画を組み合わせて経費を捻出することが多い。

 2005年の5月にフランスへ行ったときもそうだった。
 3週間ほどの間に、いくつか目的があった。
 まずはスペインのロレト・デ・マールで行われるサッカー大会に参加すること(ぼくの所属するモンペリエ・スポーツクラブについてはこちらを参照)。そして、ハンドボールの田場裕也に会いに行くこと。田場はフランス南部のモンペリエに近い、ニームにあるウサム・ニームというクラブに所属していた。すでに田場に関する記事を書いており、続篇のために、話を聞いておこうと思ったのだ。
 実質的に“仕事”として計算できたのは、ルマンでプレーしていた松井大輔のインタビューだった。ルマンはこの年、フランスリーグ二部にいた。ぼくがフランスに着いたときは、シーズン終盤となっており、一部リーグ昇格を決めていた。
 ただ、松井のインタビューだけでは、出費だけが嵩む出張となってしまう。そこで考えたのが、フィリップ・トルシエを捕まえることだった。
 トルシエとは、2002年ワールドカップ日韓大会で日本代表をベスト16に導いた、あの男である。トルシエは母国オリンピック・マルセイユの監督となっていた。

 マルセイユはフランスでも屈指の名門クラブである。古くは、フランス代表の名手アラン・ジレス、現名古屋監督のドラガン・ストイコビッチ、フランス代表のクロード・マケレレ、コートジボワール代表のディディエ・ドログバなどが在籍していた。数ヶ月前から、トルシエの誘いで、鹿島アントラーズとの契約が切れた中田浩二も移籍していた。
 マルセイユは、フランスで一般的にl'OM(ロエーム)と呼ばれている。このロエームのサポーターは、熱狂的である。
 ルマンの松井は、親交のある中田がマルセイユに移籍したことについて、「あそこは大変らしいですよ」と心配顔をしていた。
 噂を聞く限り、あまりマルセイユではプレーしたくないのだろう。
 例えば――
 年俸の高いマルセイユの選手は普段、フェラーリやポルシェなど高級車に乗っている。ところが試合に負けた翌日だけは、いつもと違う大衆車で練習に行くという。なぜならば、頭に血が上ったサポーターが車にイタズラをするのだ。車を担いでひっくり返したり、ひどい時には火をつけることもあるという話も聞いた。
 全くサッカーで負けただけで、車をひっくり返されたりしたら、たまらない。
 日本の浦和レッズサポーターや阪神タイガースファンも激しいがそこまでではない。匹敵するのは、ブラジルのコリンチャンスやフラメンゴのサポーターぐらいだろう。
 そんな熱いクラブに、あの偏屈で変わり者のトルシエとは、ずいぶんと面白そうな取り合わせだった。
(写真:ニームでは円形劇場で闘牛が行われていた。写真は牛が倒された瞬間)

 モンペリエ・スポーツクラブのメンバーと酒を飲んだときに、トルシエの話となった。
 この連載で書いたように、モンペリエ・スポーツクラブの“同僚”であるイバン・ダビドはトルシエと付き合いがあった。
 日本代表監督時代、トルシエはしばしばメディアと衝突しており、記者会見は険悪な雰囲気で有名だった。マルセイユでも同じスタイルを貫いているのだろうかと、イバン・ダビドに尋ねると、強く頭を振った。 
「そんなことはあり得ない。マルセイユのメディアは強烈だ。敵に回したくない奴らだ。刃向かうと徹底的につぶされる。いくらトルシエでも、そんな馬鹿なことはしないよ。テレビで記者会見を見たことがあるけど、大人しいものだったよ」
 すっかり大人しくなった変人監督に話を聞くのは悪くない。
 ただ、ぼくはフランス出発前から、マルセイユの広報にトルシエの取材申請を出していたが返事がなかった。フランス語の出来る友人に電話をしてもらうと、
「個別に時間は取れないので、記者会見に来て本人をつかまえてくれ」
 というつれない返事だった。
 マルセイユは負けが込んでおり、トルシエは批判を受けていた。そんな中で、クラブとして日本のメディアに応対する余裕はないようだった。
 ならば、行くしかない。
 ところが、フランス語の堪能な日本人の友達はみなパリ在住だ。南部まで来て貰うほどの、金銭的時間的な余裕はない。そして、ぼくのフランス語は片言である。とても人にインタビューするレベルにない。ましてや、相手は奇人だ。考えて質問しなければならない。
 どうしようかと思案していると、マニュエル(参照)がぼくの肩を叩いた。
「俺がやってやるよ」
「いったい、どうやって。マニュエルは日本語はできないだろ?」
「俺とお前はスペイン語でこうやって会話している。お前が質問をスペイン語で準備してくれれば、俺が代わりに聞いてやるよ」
(写真:ワインを飲みながら、人形とおどけるマニュエル。5月の南欧は最高の季節だ。湿気が少なくて快適)

 マニュエルは、人間的には最高である。ただ、時間的にルーズだったりして、適当なところがある。フランス人らしく自分勝手だ。トルシエにぶつけるには、やはり同国人の図太さがあったほうがいい。
 なるほど、悪い考えではない。
「インタビューが無事に終わったら、マルセイユでブイヤベースでも食べて来ようか」と、ぼくはマニュエルの手を握って目配せした。
 近日に行われる、記者会見の時間を確認して、二人でマルセイユを目指すことにした。トルシエとついでに中田浩二を捕まえることができれば、記事になる。
 ところが、出発当日の朝、フランス人を甘く見ていたことを思い知った。

(Vol.2へつづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。最新刊は『楽天が巨人に勝つ日―スポーツビジネス下克上―』(学研新書)。




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