東北楽天イーグルスのマーティ・ブラウン新監督は優秀である――と私は思う。同時にもうひとつ言えることがある。彼はあまりツイていない。
 日本人女性と結婚したせいかどうかは知らないが、広島カープの監督を退任した後も、日本球界での監督を希望していた。そこへ白羽の矢を立てたのが楽天だった。
 考えてもごらんなさい。野村克也前監督は12球団一の人気監督であった。しかも、今季は2位に躍進した。クライマックスシリーズにしても、もし、北海道日本ハム・スレッジのあの奇跡的なサヨナラホームランがなければ、おそらく日本シリーズに進出していただろう。野村人気とチームの勢いが相乗効果となって、今季の快進撃を生んだのである。
 新任のブラウン監督には、楽天ファンは当然、来季も2位以上を期待するだろう。しかし、2008年に日本一に輝いた埼玉西武が今季は苦しんだことでもわかるように、来季、そう簡単に2位以上にいけるはずはない。たとえ、野村監督続投だったとしても、だ。だけど、負ければ必ず、野村監督なら勝てたのに、という声が上がるだろう。
 この声は、決して妥当なものではあるまい。だが、世間様とはそういうものだ。ブラウン監督は、この見えざる敵とも戦わねばならない。ね、ツイてないでしょ。

 広島カープでの彼の4年間を検証してみよう。
 おそらく、もっとも有名なのが、あの“ベース投げ退場事件”だろう。
 面白かったですね。わくわくして見ていた。退場後、テレビ中継で紹介されたコメントは「私は大丈夫です。みなさん、よろしくお願いします」というものだった。これを聞いて、あ、この人、実はきわめて冷静な人だとわかった。
 この退場劇は、残念ながら評論家の方々にはたいそう評判が悪かった。カープOB評論家諸氏は異口同音に「決してほめられたことではない」とコメントした。
 そうだろうか。判定に不服がある場合、異議を申し立てるのは監督として当然である。審判の説明に納得がいかなければ、激しく抗議するのもまた、当然ではないか。それでいたずらに試合が延びては困るから、審判には退場を宣告する権利が認められているのである。監督が抗議して退場になるのは、ごく自然のなりゆきではないか。

 こうも言える。日本野球には確かに退場を美風だと評価する風土はない。ではなぜカープはわざわざ外国人監督を雇ったのか。それまでの球団OBの監督ではチームが低迷してどうしようもなくなったからだろう。ブラウン監督に求めたのは、改革者の役割だろう。ならば、球団、OB評論家含めて、少しはこの改革者をサポートするべきではないか。
 ブラウン監督がツイていなかったのは、この点である。いや、これはツキとか運という問題ではない。いってしまえば孤立無援という“悲劇”である。

 なにしろ、一年目のブラウン監督は面白かった。カープには当時、石原慶幸、倉義和、木村一喜という捕手がいたが、なんと外野手の井生崇光にキャッチャーの練習を命じたのである。聞けば、井生には捕手経験が全くないという(子どものころやったことがあるのだったか、よく覚えていない)。
 これも評判が悪かった。100人いれば99人の評論家が「けしからん」とこきおろすことになった。
 捕手・井生に賛成したのは、もしかしたら世の中で私一人だけだったかもしれない。
 しかし当時、石原と木村は少しは打力があったが、どうにもリードがさえなかった(と私は思う)。リードとか送球などでは倉に一日の長があったが、いかんせん打力がない。では若手を抜擢しようにも、ドラフト1位で獲得した地元・広陵高出身の白濱裕太がどうにも成長しない。
 それなら、自分でキャッチャーをつくるしかない、とブラウン監督は考えたのだ。そこで野球センスに注目していた井生を指名した。これぞ改革者の仕事でしょう。しかも、卓抜なフロント批判にもなりえている。しかしながら、周囲の関係者は自分たちが営々と築き上げてきた良識を踏みにじられた、としか感じられなかったのだ。

 そして忘れてならないポイントがある。彼は、まずセンターラインを強化しようとしたのだ。これは野球におけるチーム作りの基本である。同じ理由で、二遊間にはまず守備力を求める。だから一年目の開幕試合から、新人ながらもっとも守備のいい梵英心を起用し続けた。
 結果として、井生は1試合だけ公式戦でマスクをかぶった。投手は林昌樹。捕球はまずまずだったが、投手への返球がいかにも遠慮がちな山なりで、林がズッコケていたのを覚えている。それから、解説者が「こういうことをしたら、ベンチの石原が怒りますよ」とおっしゃったことも。そりゃ、怒るでしょう。怒って当然。そのうえで、練習して、まだまだ成長しなくてはならない程度のレベルに、当時、石原も倉もあったと思いますが。

 思えば、一年目は、あの前田智徳が2番に入るという打順で始まった。出塁率の高い選手を2番に起用したがる、外国人監督らしいオーダーである。
 確かに結果は出なかった。6番に入った梵以下があまりの貧打のため、極度の得点力不足を招いた。前田を2番から前年までの5番に戻したときブラウン監督は言った。
「私はガンコだが、愚か者ではない」
 日本人選手は、打順に文化を感じるようだ、とも述懐している。前田の身体には5番という日本人の考える文化が浸透している、ということだろう。

 だが、たとえばニューヨーク・ヤンキースで、デレク・ジーターが2番に入ることがある(今年は1番にほぼ固定されたが)。いくらA・ロッドやマーク・ティシエラや松井秀喜が打っても、ヤンキースで一番肝心な時に打席に入って絵になるのはジーターである。今年のポストシーズンの活躍でA・ロッドもその域に近づいたが、ジーターのカリスマ性はまだ衰えていない。ま、ニューヨークの長嶋茂雄(今やイチローといったほうがいいのか?)である。2番前田という打順が、それと同じような意味をもつ可能性は宿っていたと思う。前田にはそれだけのオーラがある。そして、そういう2番打者という文化を育ててほしかったし、ぜひ、見てみたかった。

 ブラウン監督の采配で、OB評論家の批判にさらされたものは、まだまだある。もはやいちいちふれていられないが、例えば、2年目に導入した、捕手併用制も、日本野球的見地からはイケナイものだったようだ。
 要するに、石原と倉をほぼ半分ずつ起用したのである。千葉ロッテが日本一になったときも、ボビー・バレンタイン監督(当時)が里崎智也と橋本将を併用して話題になりましたね。あのときは、優勝という結果を出してしまったから、みなさん批判しにくかったのだろう。しかし、ブラウン監督のときは、遠慮がなかった。
 いわく、「強いチームには、必ず正捕手がいるものなんです」「どちらかを正捕手にしないと、勝てるチームになりませんよ」……。この捕手併用批判を展開した方々に、お聞きしたい。今季のカープが前半戦、貧打が原因で下位に低迷した原因は何でしょうか。いろいろあるが、私は“正捕手”石原の打撃不振が大きかったと見る。

 先に紹介したブラウン監督の言葉「ガンコだが愚かではない」は、この人物の特性をよく表している。意外に人の意見を聞き入れるところがあるのだ(その点で、硬直した愚者ではない)。捕手併用も、3年目からは石原正捕手に切り替えた。それで石原が成長し、WBC代表に選ばれるまでになったという面は確かにある。しかし、今季、もう少し早い時点で、倉との併用、あるいは若手・会澤翼の抜擢に踏み切っていれば、あそこまで貧打で負け続けることはなかっただろう。
 何も、捕手は併用が正しく、正捕手は不要だといっているのではない。そんなの、チーム状況次第だろう。併用イコール外国人発想イコール日本野球にはそぐわない、という単純な思考回路で彼を批判したことの弊害を論じているのだ。

 ここまで書いてくると、ブラウン監督の周囲に起きたことが、よくおわかりになるだろう。すなわち、改革者たることを期待して招聘したにもかかわらず、これまで培ってきた日本野球的発想を否定されることを恐れたのである。批判もすればいいし、支持者もいていいはずなのに。結局は、外部からの改革者を受け入れるだけの覚悟、あるいは風土はなかったということだろうか。
 そのさいたるものに、100球思想がある。ブラウン監督は基本的に、先発投手は100球をメドに降板させ、ブルペン勝負に出る。絵に描いたようなアメリカ流の発想である。
 象徴的だったのは就任1年目の開幕戦。2006年3月31日の中日戦である。カープは先発・黒田博樹が好投するも試合は0−0で進む。それまでの常識では、当然黒田は勝つにしろ負けるにしろ完投だ。ところが、なんと6回で降ろしたのである。7回、8回をセットアッパー横山竜士。9回に岩瀬仁紀から緒方孝市、前田智徳の連打(なつかしい!)などで2点とると、9回裏はジョン・ベイルで逃げ切った。7、8、9の3イニングは、それはそれは冷や冷やした。黒田を続投させたら抑えられるのになぜ替えるんだ、と正直、思った。大エース・黒田でも先発は100球。中4日。これが彼の思想であり、やり方なのである。それが、必ずしもすべて正しいとは言わない。また逆に、全面的に否定するべきものでもないだろう。しかし、この4年間、「完投させなきゃ投げるスタミナもつかない」「完投させなきゃ、投手は成長しない」という解説ばかり何度聞かされたことか(その点、来季は、岩隈久志や田中将大にとっては、いい監督かもしれませんね)。

 100球思想には、功罪ともにあるだろう。だが、現実をみてみよう。2009年には、コルビー・ルイス、前田健太、大竹寛、斉藤悠葵、今井啓介という、若手からなる先発ローテーションを育て上げて見せた。マイク・シュルツ、横山、永川勝浩という勝ちパターンのリリーフも確立した。この陣容は、彼が就任する前年までの悲惨な投手陣とは天と地ほどの差がある。
 ついでにふれておくと、お気づきかと思うが、06年開幕時のクローザーは永川ではない。ベイルである。永川は当初、主に8回に登板するセットアッパーだった。この年の序盤、ベイルの出来はすばらしかった。ところが、ベイルは雨の中で行われた千葉マリンスタジアムのロッテ戦で、ぬかるんだマウンドに足をとられて故障してしまう。永川がクローザーとして結果を残すのは、そのあとのことだ。
 雨のマウンドのおかげで、ブラウン監督のブルペン構想は変更を余儀なくされた。これも不運、あるいは悲劇のひとつかもしれない。以来、永川はたしかにセーブの数字は残すけれども、不安定なリリーフで幾度も手痛い敗戦を喫することになる。ただし、いったんクローザーと決めた永川を変更することは、以後、二度となかった。
 たとえば、みずからの進退がかかった今季、明らかに不安定で失敗の多い永川をクローザーからはずすという選択肢はありえたはずだ。それでも永川を起用し続けた。はたして「ガンコだが愚かではない」采配であったかどうか、微妙だといわざるを得ないが、これもブラウン流なのだろう。
“悲劇”の内実を書きつのるのは、このくらいにしておこう。

 今年8月27日、マツダスタジアムの広島−東京ヤクルト戦。先発・斉藤悠葵が大乱調、リリーフした長谷川昌幸も打たれて、2回表までに0−6。あーあ。と思ったら4点返して4−6で迎えた7回裏のことである。一死一塁で打席に入ったスコット・マクレーンがハーフスイングの判定に何かを言った。退場! ここで飛び出す我らがマーティ。審判指さし猛抗議。
 スタンドは盛り上がった。誰もが、退場を確信し、「おー、やれやれッ」。審判も即、退場宣告。ウォー。客席に地鳴りのような歓声が起きる。
 ブラウン監督、こんどは何をやるのかとの球場全体の期待に応えて、グラウンドで靴を脱ぎ、そのうえに帽子を置いて、赤い靴下のままダッグアウトに下がった。ちょっとわかりにくかったが「審判よりオレのスパイクと帽子の方がいい仕事をするぜ」というメッセージだそうな。
 これが監督としてプロ野球最多となる8回目の退場だった。
 試合は? そのあと代打・石井琢朗以下4連打で、7−6と大逆転勝利!

 もちろん退場すれば勝てるというものではない。ただ、あの時、スタンドにカープを応援するマグマのようなエネルギーが噴きだしたのも事実である。ただし、ブラウン監督自身がそうであるように、実は観客も“退場劇”を冷静に客観視したうえで、盛り上がっているのである。観客は評論家が考えるほど単純でも愚かでもない。
 退場にまゆをひそめる方々は、きっと、あの激越なふるまいが、ファンに悪影響を与えると考えるのだろう。子どもの教育に悪いとか。しかし、観客はけっして、抗議にのせられてヒステリックに暴徒と化しているのではない。わかったうえで盛り上がるという、むしろ知的な快感を得ているのである。

 冒頭で、ブラウン監督は優秀だと書いた。別に、退場するパフォーマンスが上手だからではない。彼はまず、チームづくりの基本方針としてセンターラインを強化しようとする。投手、捕手、そして二遊間。投手は、先発、中継ぎ、クローザーの確立。あたりまえといってしまえばそれまでだが、まずこの理念がある。それをチームにあてはめる。理念を貫くのである。
 たとえば、今季のショートの起用が象徴的だ。まず、もっとも守備のいい梵を使う。あまりにも打てないと、まだまだ守備力は衰えていない石井琢朗。ただ、石井も年齢のゆえか、バッティングは苦しいものがある。それでも、あくまで、梵か石井なのである。ようやくこの二人の貧打に見切りをつけて、小窪哲也を起用したときは、すでに夏だった。結果的には、小窪が打率を残し、カープの得点力が上がって、一時は、上位進出の可能性をつかみかけた。もっと早い時期に小窪にしておけば、3位になれたのではないか、と思ってしまう。

 だが、永川の起用といい、ショートの考え方といい、あくまで理念を貫いて采配をふるうのである。これがいい。もちろん、そこに、監督としての弱点や限界をみることもできるのだが。
 きわめて面白い4年間だったし、見ていて痛々しい4年間でもあった。
 仙台で、彼はどのように変化していくのであろうか。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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