メジャーリーグに移籍した日本人選手の多くは、アメリカ社会に“消費”されている――これまで意識的にそう書いてきた。
 その一例として、昨年までの松坂大輔(レッドソックス)を挙げることができる。ご承知のようにレッドソックスは、約60億円の大金を投じてポスティングで松坂を獲得した。メジャーでの松坂は、まだその金額ほどの大活躍はしていないというのが大方の感想だろう。
 だが、おそらくレッドソックスとしては帳尻は合っているのである。なぜなら2年目は1年間先発ローテーションを守って18勝を挙げたのだから。2008年のシーズンはレッドソックスの先発陣を松坂が支えたのである。そして、そのための投資であったのだ。
 昨年は、残念ながら不振をきわめ、まったくチームの役には立たなかった。しかし、球団はすでに今季に向けて、エンゼルスから先発の柱となるジョン・ラッキーを獲得し、さらにはキューバの若手豪球左腕チャップマンに食指を動かすなど、着々と次の大物獲得に動いている。あたかも松坂の力を使いきったら、次の力を買う、といわんばかりに。

 松井秀喜にも同じようなことが言える、と思ってきた。
 我々が知っている松井の魅力は、豪快なホームランである。しかし、彼はヤンキースに移籍するに際して、「ぼくはこちらではホームラン打者ではありません」と発言する。
 1年目には、ホームランどころか、ボテボテのゴロを連発し、「ゴロキング」と揶揄されたこともご記憶だろう。
 その後の松井のヤンキースでの軌跡をたどってみると、「確実に打点を稼ぐ打者」「プロフェッショナルな打者」という評価を確立して、ヤンキースのレギュラーの座を守り抜いた7年間だったといえる。

 例えば、二塁に走者を置いて、外角球をしぶとくレフト前にはじき返す。一塁に走者がいる時は、進塁打になるよう考えて打つ。彼は、チームの勝利のために打つ、メジャーでも屈指のプロフェッショナルな打者である。
 ただし、この評価は、あくまでもヤンキースという球団にとって有用な選手、ということにすぎない。ワールドシリーズ制覇をいわば義務づけられた人気球団としては、松井のように確実にチームに得点をもたらそうとする打者が必要なのである。
 松井の力は、そのようにヤンキースに消費されてきたのだ、と言ってもよい。もちろん大きな故障という不運にも見舞われたけれども、いつしか、当たればライトスタンド上段、という巨人時代の松井は影を潜めてしまった。
 例えば松井稼頭央しかり、川上憲伸しかり、福留孝介しかり、阪神に復帰した城島健司しかり。このような状況を、才能をアメリカ社会に“消費されている”と表現するのは、あながち的外れではないだろう。

 ところが、人生とはわからないもの。あまつさえ、手首の大けが、ひざの故障と苦しんでいた松井に、一発逆転の機会が訪れたのである。
 時あたかも2009年11月4日。ヤンキースタジアム。ヤンキース対フィリーズのワールドシリーズは、ヤンキースが3勝2敗と王手をかけて第6戦を迎えた。
 0−0の2回裏。ヤンキースは無死から4番A・ロッドが四球で出塁。ここで打者は5番松井。マウンドには衰えたりといえども往年の剛球投手ペドロ・マルチネス。松井、果たして先制打を打つことができるか。

?インロー ツーシーム ストライク
?アウトコースへツーシーム(甘い)ファウル
?ストレートを高めに外す
(あっという間にカウント2−1と追い込まれた。しかし勝負はここからである)
?アウトローへシュート気味。ボール(ペドロ、明らかに松井を警戒している)2−2
?インハイ ストレート ファウル
?インロー スライダー ボール これで2−3
?チェンジアップ(?)低めだが、やや中に入る。
(A・ロッド、スタート。松井、泳がされながらかろうじて当ててファウル)
?インハイ ストレート ライトスタンドに先制2ラン!

 極論を言えば、この時点で、松井のワールドシリーズMVPが決まった。それくらい価値のあるホームランである。
 おそらく、7球目のチェンジアップ(だと思う)にタイミングを狂わされながらなんとかファウルに逃れたのが大きい。5球目、6球目とインコースをファウルされ、見逃されたため、7球目に抜いて、8球目、ペドロはおそらくアウトローいっぱいを狙ってツーシームを投げたのである。それが甘くインコースに入ってきた。この絶好のホームランボールを一振りで仕留めてみせたのだ。
 甘い球を待ち、一振りで仕留める。これは確実に打点を稼ぐ打者というより、ホームラン打者の在りようである。松井の中に何か変化があったのだろうか。

 いつから、とはっきり言うことはできない。少なくとも右手首骨折で長期離脱したあとのことである。今度はヒザの痛みに苦しみながら、松井の素振りに少しずつ変化があったような気がする。
 投手方向からではなく、横からのスローを見るとよくわかるのだが、バットをスイングして、ボールをとらえ、そしてフォロースルーに入る時、後ろ足(左足)と背中のラインが、大きく弓なりにそり反って見事な弧を描くのである。もちろん、昔からそのような形にはなっていた。ただ、些細なことかもしれないが、その左足(の裏側)と背中の線が描く弧が、以前よりも大きくなっている。振り終えたバットを含めて、雄大な円弧をなす。これのシルエットは、見映えがする。そして、ホームラン打者の弧である。

 2009年のシーズンが深まるにつれて、特にこの特徴が顕著になってきた。たとえ凡打した時でも、スイング自体は、かつてのゴロキングのものではなくなっていたのだ。すなわち、同じ凡打でも、ホームランの可能性を常に内包した、ホームラン打者の凡打になっていたのである。
 これを7年間の集大成と考えるならば、松井は、いったんメジャーリーグに消費され尽くしたあと、再び、本来の自らの姿を獲得しなおすことに成功した、と言わねばならない。

 第6戦は、3回の第2打席で、アウトコースをチョコンとレフト前へ合わせて2打点。さらに5回には、代わった左腕ハップからライトオーバーの2点タイムリーを放ち、計6打点。ちょっと考えられないような大活躍で球場からMVPコールが起きた。まさに、野球の神様に祝福された瞬間だった。
 そして、この祝福は、最終的には消費され尽さず、本来の自らを獲得したことへの祝福ではなかっただろうか。

 話は変わるが、過日、ランディ・ジョンソンが引退を表明した。そのコメントの中に、「あれが、自分の野球人生で最高の瞬間だった」(1月7日付朝日新聞)という言葉があった。
 2001年、ダイヤモンドバックス時代に、ヤンキースとワールドシリーズを戦って、第6戦先発、そして第7戦にリリーフ登板して優勝、シリングとともにMVPに輝いたときのことを指している。

 第7戦、ブルペンのドアをあけてジョンソンが姿を現し、マウンドへ向かうシーンは、まるで映画『メジャーリーグ』のクライマックスのようだった。22年間で通算303勝、歴代2位の4875奪三振、完全試合も達成したジョンソンがその長いキャリアを振り返ったとき、まず、あの瞬間が脳裏に浮かぶという。これは、何を意味するだろうか。
 それは、ワールドシリーズ(あるいは日本シリーズでもよいが)で優勝し、MVPの栄に浴することこそ、野球選手として至高の快感であり、達成感だということだろう。ワールドシリーズ(日本シリーズ)MVPこそが野球の究極の頂点なのだ。その意味で、松井はついにメジャーリーグで成功をおさめた選手になったということができる。

 ところで、イチローは決してメジャーリーグに消費されることのない選手である。毎年のように新たな輝きをもたらす底知れぬ能力は、驚異といっていい。ではなぜ、イチローだけは消費され尽くさないのか。おそらく、目指すところが違うからではないか。イチローが目指す究極の頂点とは10割打者なのではないか。
 たとえば第2回WBC決勝、韓国の林昌勇から決勝タイムリーを放ったあの有名な打席を思い出すとよい。あの打席に限っては、イチローは10割打者と化していた。ファウルや見逃し方を見ていると、どんなことがあっても最後はヒットを打てたとしか思えない。10割打者という、他の選手とはちがうアプローチこそがイチローの存立基盤なのだろう。

 しかしながら、おそらくイチローのやり方のほうが稀有なのである。アメリカ野球はワールドシリーズを頂点として、すでに巨大な社会システムを形成している。そこで日本人選手が真に成功するには、まずは自らを出し尽くし、消費されたうえで、ふたたび本来の自分を獲得し直すしかないのである。それはまた、人はなぜ野球をするのかと、かの地にあって問い直すことと同義だろう。
 今季、松坂大輔は、例えばあのプロデビュー戦となった日本ハム戦で、片岡篤史を三振に取ったようなうなりをあげるストレートを取り戻せるだろうか。今後の彼の成功は、そこにかかっているといっても過言ではない。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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