横浜から戦力外通告を受けた工藤公康の埼玉西武入りが決まった。16年ぶりの古巣復帰である。
 46歳という年齢を考えれば、西武が最後の球団であることは間違いあるまい。

 西武で始まり、西武で終わる――。元々、そういう運命だったのかもしれない。
「僕は運がいいと思っている。ライオンズに入って1年目で優勝して、13年間で11回優勝して、8回日本一になった。ライオンズが一人前にしてくれたおかげで、ここまでやらせてもらった。そして、今ここに座っているんだと思っている」
 入団記者会見の席で、工藤はこう語った。
 監督の渡辺久信より2つ年長。現役時代は「ナベ」と呼び、六本木あたりでよく飲んでいた。
「球界の新人類」と呼ばれた2人も、今やいいオッサンだ。
「渡辺監督も含めて、選手が頑張っている。チームが若くて力を持っている印象がある。(46歳の)自分が入ることに戸惑いはあるが、自分の力で少しでも勝てるのであれば頑張りたい」
 球団には若手投手陣への“教育係”として期待する声もあるようだが、工藤は「アドバイスをするために来たのではない」とピシャリ。
「先発でも中継ぎでも抑えでも、行けと言われたところはどこへでも行く。それが選手の役目」と、一兵卒として働くことを誓った。
 しかし実際には、左のリリーフとしての起用が多くなりそうだ。
 今季、工藤は2勝3敗、防御率6.51という凡庸な成績ながら、10ホールドをマークした。
 西武は工藤のリリーバーとしての腕を買ったのだ。
 それは前田康介球団本部長の次のコメントからも明らかである。
「純粋に戦力として獲得した。左の中継ぎは手薄で課題だった。彼には戦力として長くライオンズでやってほしい」

 中継ぎとはいっても、単に左のワンポイントに甘んじるつもりはない。
「今の打線はどこも左バッターが主体だから左ピッチャーが欲しいという考えは間違っていると思います。
 左バッターの中にも左ピッチャーが得意なヤツは沢山いるし、逆に右バッターでも左が苦手なヤツはいるんです。
 たとえばシンカーが得意な左ピッチャーは右バッターよりも、むしろ左バッターの方が苦手なはずです。なせなら、右バッターなら(シンカーを)追いかけてくれるから楽だけど、左バッターにはあまり通用しない。
 逆にシンカーが甘く入ったりするとガバーンとやられちゃいますよ。だから左バッターが出てくるとハンで押したように左ピッチャーをぶつけるという考えは、もう古いと思いますね」
 その一方でサウスポーのアドバンテージについてはひしひしと感じている。
「同じ145キロでも左が投げる145キロと右が投げる145キロとでは打者が感じるスピードがまるで違う。
 もちろん、左ピッチャーの145キロの方が速く感じられるというんです。
 これはなぜなのか。右には力任せで投げるピッチャーが多いけど、左は腕をうまくしならせながら、ピュッと投げるタイプが多いでしょう。
 また、そのような投げ方をした方がボールに“切れ”が出るんです。はっきり確かめたわけじゃないけど、ピュッと投げた方がボールに与える回転数が多くなるような感じがする。
 必然的にバッターは“速い”と感じるんじゃないでしょうか」

 注目は「20年にひとりの逸材」菊池雄星との“からみ”である。親子ほど歳の違う大物ルーキーに、工藤はどんなアドバイスをするのか。
 工藤は夏の甲子園で菊池のピッチングを見ていた。工藤によれば夏の菊池は春に比べるとヒジの位置が下がり、著しくフォームのバランスが悪くなっていた。
「ヒジが下がると(投げる時に)手首が(外側に)折れる。手首が折れたまま投げたら、肩かヒジを間違いなくやっちゃいますよ」
 工藤はそう心配していた。そして、続けた。
「高校野球は、ある一時期だけ投げればいい。だけどプロは1年間ずっと投げなくちゃいけない。ただ“質がいい”というだけでやっているんだったら危ないですね」
 春のキャンプでは2人の“競演”が見られるかもしれない。西武のキャンプ地・南郷(宮)のブルペンが今から楽しみだ。

<この原稿は2009年12月11日号『週刊ゴラク』に掲載されたものです>

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