自分の色を出すということは、すなわち前任者の色を消すということでもある。前任者が偉大であればあるほど、それを急がなければならない。自分の目指す野球とは何か。新監督はメッセージを明確に選手たちに伝える必要がある。
 千葉ロッテの新監督に就任した西村徳文はバレンタイン政権下ではヘッドコーチの要職にあった。人気者で時にワガママな上司を辛抱強く支えた。しかし自らが理想とする野球と上司が好む野球との間には大きな隔たりがあった。
 西村は叩き上げで首位打者にまでなった男である。足をいかすため、プロ2年目でスイッチヒッターに転向した。左打ちの技術を習得するにあたり、彼は一日1200回以上のバットスイングを自らに課した。
「血のにじむような練習」という表現が、彼に限っては比喩ではなかった。朝、目覚めて顔を洗おうとする。ところが両手がグーの握りのまま開かないのだ。関節が固まってしまっていたのである。
 本人の述懐。「手が開かないから顔は洗えない、歯も磨けない。腕は鉛のように重くて、自分のものではないような感じでした。僕自身、不器用な人間なので、レギュラーをとるにはそこまでやるしかなかったんです」

 そんな男が投げ込み禁止、打ち込み禁止のボビー流を良しとするわけがない。打線においてもボビー流の「日替わりオーダー」には疑問を感じていた。問題はいつ、どういうかたちで「政権交代」を選手たちに認識させるか、だ。

 ヒントになるのは阪神監督時代の岡田彰布(現オリックス監督)の例だろう。チームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた星野仙一の跡を継いだ岡田は星野時代、1番を打っていた今岡誠を就任2年目に5番に起用した。ある試合でベンチからサインも出ていないのにバントを決めた今岡を岡田は激しく叱責した。「何のためにオマエを5番に置いてるんや。勝負してこい」と。これまでなら「よう繋いだ」となるところだが、岡田は敢えて今岡を叱ることで「政権交代」の意味を選手たちに実感させようとした。「オレにはオレの野球があるんや」と。この年、岡田の野球は見事に開花した。

 脱バレンタイン。西村がまず取り組むべき作業はこれだ。未来を拓くためには過去と戦わなければならない。

<この原稿は09年12月16日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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