昨年の大晦日、さいたまスーパーアリーナで吉田秀彦×石井慧戦を見終えて、私は複雑な気持ちになった。
 最終3ラウンドのゴングが打ち鳴らされた瞬間は、正直なところホッとした。それは、心の中で「吉田、逃げ切れ!」と願っていたからだ。吉田への思い入れは強くある。柔道界から総合格闘技界へ進出したパイオニアが、ルーキーに敗れる姿は見たくなかった。
 でも時間が経ち、落胆している自分に気づく。石井は、このレベルだったのか……と思うと、やはりガッカリしてしまうのだ。
「石井は弱かった!」
 元旦の『日刊スポーツ』紙の一面に躍った大見出しはストレートで的を得ていた。

 戦前、私は「石井が勝つ」と予想していた。このコラムでも書いたが、それは「石井は強い」と思っていたからではない。吉田のコンディションが全盛時には程遠かったからだ。総合格闘技に転向した直後の吉田の肉体指数を「100」とすれば、現在は「30」程度だろう。何しろ、ここ3年間の彼の戦績は1勝3敗。ジェームス・トンプソンに殴り倒され、ジョシュ・バーネットにはボロ雑巾にされた。菊田早苗にも判定ながら完敗を喫している。唯一の白星は、既にリタイアしていたモーリス・スミスが相手の試合だった。吉田は、引退寸前の下り坂の選手なのである。

 だが実力は下っていてもネームバリューはある。よく知るファンは、その辺りのことを解っていても、大晦日だけチャンネルを格闘技に合わせる人たちは、石井が勝てば「あの吉田に勝ったのだからすごい」と思うことだろう。つまりは、この一戦は石井を勝たせるため、そして石井に箔をつけるために組まれた試合だった。

 なのに、そんな恵まれた舞台でも石井は勝つことができなかった。動きの激しい試合に持ち込めば吉田のスタミナは15分間持たなかっただろう。それも解っていたはずなのに、石井は乱戦を誘うことさえできず、吉田に終始ペースを握られてしまった。

 もちろん、吉田の闘い方がクレバーだったことは評価されるべきだろう。最初からベタ足で闘っていたのはスタミナの消耗を最小限に抑えるためだ。先制パンチを浴びせて石井の出足を鈍らせたのも見事だった。最終ラウンド残り1分、苦しい中でタックルに入り、うまく時間を稼いで逃げ切る……。やれることをすべてやった。悪い言い方をすれば、敵を巧みにだまして勝利を得た。「30」の肉体指数で「50」の闘い方をしてみせたのだ。

 さすがは吉田、と思った。しかし、前に出られなかった石井に対する失望のほうが大きい。「100」の肉体指数を持ちながら「10」の闘いしかできず、完敗を喫した。メディアは、その理由を「キャリアの差」と報じたが、それだけではないだろう。

 石井は勝負弱さを露呈した。
 2人の間に存在したのは、総合格闘技への「適性の差」であり、「勝負師」としての力の違いである。「勝負強さ」は、キャリアを積めば身につくというものではない。石井の躓きは、周囲が思っている以上に深刻な気がする。

----------------------------------------
近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜(文春文庫PLUS)』ほか。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
◎バックナンバーはこちらから