地味だけど勝負強い男――。北海道日本ハムの内野手・小谷野栄一の第一印象を一言で言い表せば、こうなる。
 敗れはしたものの、昨季の巨人との日本シリーズで小谷野は一躍、全国区となった。

 6試合通じて23打数9安打5打点、打率3割9分1厘と打ちまくった。守備でも貢献し、巨人・原辰徳監督をして「小谷野の守備には驚いた」と言わしめた。
 こうした活躍が認められ、日本シリーズでは優秀選手賞に選ばれた。

 彼は遅れてきた“松坂世代”でもある。
 言うまでもなく“松坂世代”にはキラ星のごとくスターが居並ぶ。松坂大輔(レッドソックス)を筆頭に、杉内俊哉(福岡ソフトバンク)、和田毅(同)、新垣渚(同)、村田修一(横浜)、藤川球児(阪神)……。
 小谷野もそのひとりだが、彼の名前が最初から連なることはなかった。プロ入り4年間は1軍と2軍を行ったりきたりで、本人によれば「いつクビになるかわからない不安な日々」と闘っていた。

 体に異変を感じたのは4年前の8月のことだ。ジャイアンツ球場での2軍戦、マウンドには桑田真澄が立っていた。
 小谷野の回想。「打席に向かうと急にくらくらして呼吸ができない状態になってしまったんです。自分で自分がどうなっているのか、よくわからなかった。前の日に飲み過ぎたかなとか、体調が悪いのかなとか……」
 立っていられなくなった小谷野は打席の横で嘔吐した。
「審判やキャッチャーが“オマエ、大丈夫か?”と声をかけてくれた。その時は“大丈夫です”と答えたんですけど、本当は大丈夫じゃなかった」
 病院に行き、脳や内臓の検査を受けたが「異常なし」。しばらくたって「パニック障害」であることが判明した。
 ちなみに「パニック障害」とは、強い不安感を主な症状とする精神疾患のひとつで、それ自体が生命に危険をもたらせるものではないものの、動悸や呼吸困難などを引き起こし、気を失ってしまうこともあるという。
「今から考えると完璧主義者だったのかもしれない。あれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけないと考えるタイプだったので、知らない間にストレスを溜め込んでいたのでしょう。(病気のことを)受け入れるのには時間がかかりました。なんで、僕がこんな病気にかからないといけないのかって……」

 救いの手を差し延べたのは2軍のコーチだった福良淳一(現1軍ヘッドコーチ)。「何回タイムをかけてもいいから出てみよう」。この一言で気が楽になった。試合中に4回も5回も吐きながら、それでも福良はゲームに出し続けた。
「とにかく1カ月間は吐きながらでも倒れながらでも試合に出るしかなかった。これも個性かなと開き直ったのもよかったんでしょうね」
 逆境を乗り越えて掴んだレギュラーの座。それだけに彼の勝負強さは筋金入りだ。

<この原稿は2010年1月24日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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