巨人、阪神でエースとして活躍した小林繁氏(北海道日本ハム1軍投手コーチ)が1月17日、心不全で急死した。57歳だった。小林氏といえば“江川事件”について触れないわけにはいかない。

 78年11月21日、いわゆる“空白の1日”を利用して巨人は江川卓と電撃契約を結んだ。ドラフト会議前日のことだった。
 当然のことながらセ・リーグ会長はこれを却下。ドラフトでは阪神が江川を1位指名し、交渉権を獲得した。巨人はドラフト会議をボイコットした。
 12月22日、事態の収拾をはかるため、当時の金子鋭コミッショナー(故人)は「強い要望」を表明した。
 これを受けるかたちで巨人と阪神はトレードを画策。その中身は江川を一度、阪神に入団させてから巨人に移籍させるというものだった。
 いったい誰が江川の“身代わり”になるのか。年が替わって巨人が阪神に差し出したのは前年13勝をあげている小林氏だった。79年1月31日、小林氏は巨人のキャンプ地・宮崎へ向かう道中の羽田空港で理不尽なトレード通告を受けた。
 メディアはいっせいに“悲運の男”と書き立てた。涙をこらえて記者会見に臨む姿が同情を誘った。

 しかし、この細身のサイドハンダーはタダ者ではなかった。この年、巨人戦8連勝を含む22勝をあげ、自身2度目の沢村賞に輝いたのである。
 ドラフト6位だから、決してエリートというわけではなかった。一度、腰を深く沈め、ムチのように腕をしならせる独特の投法で頭角を現し、長嶋巨人のエースとなった。
 76年、77年と連続して18勝をあげ、チームの連覇に貢献した。帽子を飛ばしながら力投する姿にファンは酔いしれた。

 横手と上手の違いはあるものの、小林氏に似たフォームのピッチャーをひとり知っている。早大のエース斎藤佑樹だ。早実時代、彼のピッチングを見て、そう思った。
 甲子園で低目に140キロ台後半のストレートをビシビシ投げ込む姿を見てビックリした。身長176センチの、そう大柄ではないピッチャーが、なぜこれほど力強く、精度の高いボールを投げられるのか。
 それは彼の独特のフォームにあると思った。軸足の右足に重心を乗せ、いったん深く沈みこむ。ここで力を貯めておいて、リリースの瞬間、一気に爆発させるのだ。
 それを目の当たりにして現役時代の小林氏の雄姿が甦った。斎藤がプロに入れば、いつか2人で投球論を戦わせることもあるのでは、と期待していたのだが……。

 それにしても57歳というのは早すぎる。指導者として、これから円熟期に入ろうという時期だったのに……。
 通夜には新浦寿夫、川藤幸三、真弓明信ら巨人、阪神時代の同僚がたくさん駆けつけた。戒名は「球愛院釋静繁」(きゅうあいいんしゃくせいはん)。ご冥福をお祈りしたい。

<この原稿は2010年2月7日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

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