菊池雄星(埼玉西武)の登録名が「雄星」に決まった。うーん。少しでも野球に興味のある日本人なら、花巻東高から西武に入団したあの菊池は「雄星」という印象的な名前の持ち主であることは知っているはずだ。あえて「雄星」にしてアピールするまでもないだろうに。それに「ユウセイ」の4音より、「キクチ」という鋭角的な3音のほうが声援としては締まるような気がする。
 もし今、星稜高の大型スラッガー松井秀喜が巨人に入団したら、登録名は「秀喜」になるのだろうか。キャンプに張本勲さんのような大物OBがやってきて、松井が挨拶すると、翌日のスポーツ新聞には「秀喜、カンゲキ!」なんて見出しが躍るんですかねぇ。
 二宮清純氏は幼少の頃、父上に野球場に連れて行ってもらって、選手の名字を見ながら、この姓だとどこの出身の可能性が高いか、という話を聞かされたという記憶をコラムで書いていたことがある。そうなのだ。姓は多くの場合、地域的・歴史的記憶を背負っている。どの風土をバックボーンに持つ選手がどのようなプレーをするか、という見方の、ちょっとしたヒントにもなる。

 野球を見続けるということは、何よりも選手のプレーの記憶を蓄積していくことである。昨今は、改革ばかりもてはやされるので、こんなことを言うと守旧派の駄弁と切り捨てられるかもしれないが、そんなことはない、と抗弁しておきたい。今こそ、時に保守主義も必要なのではありませんか(総選挙で大敗した自民党の一部の方が標榜しているような頼りないのだけが保守主義ではないはずでしょう?)。
 救いは菊池雄星の反応である。
「名前で野球をやるわけではないので、名前で成績が上がるわけでも下がるわけでもない。やるのは自分なので、こだわりはないです」(1月20日付「スポーツニッポン」)
 言外にほとばしる冷静な、あるいは醒めた感じがいい。この人、知的なのかもしれないな。

 改革か保守かという話題でいくと、カウントコールが国際基準に改められた。つまり、日本だけストライク−ボールの順番でコールしていたのを、諸外国と同様、ボール−ストライクの順に改めるという。
 早い話が「無死満塁、カウントはツー・スリー(2−3)。絶体絶命です」と言っていたのを「カウントはスリー・ツー(3−2)」と言うことにしたのである。近年、NHKのメジャーリーグ中継では既にこの国際方式を取り入れていて、例えば解説の武田一浩さんなどが「このツー・スリーの場面で、いやスリー・ツーで、どう投げますかね」などと話しておられた(誤解しないでいただきたいが、私は武田さんの解説は好きなのです)。この改革はまぁ、時代の流れで、妥当というべきだろう。

 変わるものと変わらないもの。改革すべきものと保守すべきもの。あらゆる歴史と同様、野球の歴史にも、この見極めは重要である。
 ところで、キャンプでブルペンに入った菊池雄星の投球シーンをテレビで見た。
 評論家もチーム関係者も絶賛している。東尾修さんによれば「柔軟性と安定感では(松坂大輔より)雄星が上だ」そうだ。まぁ、甲子園で彼の無類の柔らかさと強靭さを見たので、この程度の高評価は特に驚かない。
 ただ、ひとつ気になることがある。足を上げてから投げに行く時の、左腕のテイクバックが、すごく小さくなっているのである。
 これは、現代の流行と関係があるだろう。

 例えば、福岡ソフトバンクの和田毅。彼の左腕は体に隠れて打者から見えにくいことで有名になった(和田本人は「もし、それだけがボクのアドバンテージなら、自分はいつもそのフォームなのだから、打たれる試合はなくなるはずだ」という主旨の見事な反論で、腕隠しフォーム礼賛を牽制しているのだが〔佐野真著『和田の130キロ台はなぜ打ちにくいか』講談社現代新書〕)。
 あるいは、千葉ロッテの成瀬善久。“招き猫投法”と名付けられたように、左腕のバックスイングが小さく、クイッと体に隠れる。これも、彼のフォームの武器として語られる。

 ブルペンで披露した菊池のフォームもその延長線上にあると考えていいだろう。これを例えば高校時代のフォームと比べると、明らかに高校時代の方が、左腕のバックスイングのトップの位置は大きい。これも進化、改善というのかもしれない。
 例えばこんな本がある。土橋恵秀、小山田良治、小田伸午著『野球選手なら知っておきたい「からだ」のこと<投球・送球編>』(大修館書店)。ちなみに著書の一人、土橋氏は和田毅のフォームをつくりあげたパーソナルトレーナーである。
 この本は、「体幹」概念を中心に、上腕の外旋・内旋など、最近主流になっている理論を解説している。非常に勉強になる。特に後ろを小さくと強調してあるわけではないが、結果的にはそうなる理論である。

 あるいはこんな本もある。『ダルビッシュ有の変化球バイブル』(ベースボール・マガジン社)。これはあのダルビッシュ有が、自らの変化球(ストレート含む)の投げ方をあますところなく開陳した快著である。ダルビッシュの写真を見るだけでホレボレします。
 解説の芝草宇宙さんはフォーム分析でテイクバックについて「高校時代は背中側にかなり右ヒジが入り過ぎていましたから、今のテークバックは肩やヒジへの負担も含めて、彼がプロで改良した動きと言えるでしょう」と書いている。
 つまり、ダルビッシュも高校時代より、テイクバックを小さく改良したのである。菊池のブルペンも、明らかにこれらの投球理論の流れの延長線上で考えることができる。
 ここに紹介した2冊の本の理論には共通点がある。要するにまず、軸足にしっかり(まっすぐ)乗って、それからできるだけ前側の肩を開かないように体を移動して(骨盤を前に移動させて)投げるのである。

 ここで、もう一冊の本を紹介したい。別所毅彦著『ピッチング教室』(鶴書房、1967年)である。おわかりの通り、40年以上前の本だ。実はかつて、私はこの本で投球理論の勉強を始めた。口絵に紹介されている金田正一の投球フォームは本当に見事です。
 もちろん、前2著とは、だいぶ様子の違うフォーム解説がなされている。変化球の握りもダルビッシュとは全然違うのが面白い。しかし、変わらないところもある。たとえば紹介されている図版の腕の振り(「腕のスイング」となっている)などは、本質は同じといっていいのではないか。要は、ヒジを体から遠回りさせない。つまりは、なるべく開かない投球フォームに結びつくはずだ。

 ダルビッシュはストレートについて「キレイな回転をボールに与えることでキレを出すことを大前提に考えて」ほしいといっている。別所著が「速そうに見えても、棒球(ノビのない球)では必ず打たれてしまう」として、ボールのノビを強調するのと一脈通じているだろう。「腰の回転、前方移動を完全に行なう」という記述もあるが、それ以上掘り下げられていない。それを40年の歳月を経て掘り下げたのが、『野球選手なら知っておきたい……』の理論といえなくもない。

 大きく違う点がある。それがバックスイングである。別所著に掲載されている図版のバックスイングは一様に大きい。それから、足を上げる時、軸足に乗って真っすぐ立つのが現在とすれば、大きく巻き上げるように足を上げよ、と薦める。なんだか昔の大投手を思い出すでしょ。
 もちろん、現在の方が進化した理論なのだろう。
 ただ、ふと思う。先日、小林繁さんが急死した。繰り返し流される彼の投球フォームをあらためて見ると、右手を大きくバックスイングしていたことがわかる。なんだか、ワシの羽ばたきのようなバックスイングだ。
 あれはあれで見事なものだったし、あの細身で強いボールを投げるには、やはり必須のフォームだったような気がする。

 何も、ダルビッシュの高校時代のようにヒジを背中の後ろに入れ過ぎよ、というのではない。後ろは小さく、前は大きく、という理論は今や常識に属する。
 ただ、小さくとも、しっかりとるべきなのではないか。菊池雄星のブルペンは、あまりに意識して小さすぎやしないのだろうか、とつい心配になる。杞憂に終わることを祈りますが。

 私の広島の実家の近くに、長く続く小さなお好み焼き屋がある。別にどうってことない、普通のソバ入りが出てくる。特に有名な店ではない。それでも連日、とぎれることなく近所の人が訪れ、繁昌している。
 ご存知の通り、広島のお好み焼きは全国的に有名になった。さまざまな工夫を凝らした人気店が出現している。メンや生地の素材に凝ったり、はなはだしきはカキ入りなんてのもある。
 こういういわば改革派の店は、メディアに登場することも多く、もてはやされる。たしかに、おいしいのだろう。だが、もっとも尊敬すべきなのは、普通のソバ入りを、飽きもせずに普通に作り続けて、しかも決して人を飽きさせない、件の実家近くのような店ではないか。なぜなら、この店の主人はお好み焼きの変わることのない本質を知っているからだ。これこそ真の保守ではなかろうか。この場合、保守とは、時間の流れに負けないもの、同じでありながら決して古びないものの謂である。
 同様に、とあえて言おう。菊池雄星のフォームに、どこかで金田正一や江夏豊の香りをかいでみたいものだ。その時、彼は真の大投手への道を歩み始める。

上田哲之(うえだてつゆき)プロフィール
1955年、広島に生まれる。5歳のとき、広島市民球場で見た興津立雄のバッティングフォームに感動して以来の野球ファン。石神井ベースボールクラブ会長兼投手。現在は書籍編集者。
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