人気者だったボビー・バレンタインの後を継いだわけだから立場的には大変である。
 昨秋、千葉ロッテの監督に就任した西村徳文は自他ともに認める「叩き上げの男」である。

 社会人野球の鹿児島鉄道管理局を経て1982年にプロ入り。1年目のシーズンが終わった秋に右バッターからスイッチヒッターに転向した。
「俊足をいかすためにはスイッチヒッターになったほうがいい」
 当時監督だった山本一義や2軍のコーチだった飯塚佳寛にそう勧められた。

 しかし俊足だからといって誰でもスイッチヒッターに転向して成功するほど、この世界は甘くない。
 そこで西村は手の皮がむけるほど素振りと打ち込みを繰り返した。ティーバッティングだけで1日1200本以上は打ったというのだから、練習の過酷さは想像して余りある。
「一番困ったのは朝起きた時に手がこの状態(拳を握った状態)で動かないんですよ。関節が固まってしまって開けない。だから“グー”のまま顔を洗わなくてはいけなかった。最初の1週間くらいはそういう状態が続きました」
 よく「血のにじむような努力」というが、西村の場合、それが比喩ではなかったのだ。
「あれがなかったら、その後の僕の野球人生はなかったわけで、練習というのはやっぱり大事だと思っています」

 猛練習でレギュラーの座を掴み、首位打者(1990年)や盗塁王(86〜89年)を獲得した男にとって、昨季までのロッテの練習は生ぬるいものと映っていたに違いない。
 前任者のバレンタインは『1000本ノックを超えて』という著書のタイトルからもわかるように、日本流のスパルタ・トレーニングを非科学的なものとみなしていた。「(ハードな練習は)選手を鍛えているのではなく壊している」と語っていた。
 とりわけピッチャーの投げすぎには厳しく目を光らせていた。もちろん、こうしたやり方の支持者はたくさん存在する。

 昨季までロッテでプレーしていた小宮山悟も、そのひとり。
「(ボビーの練習は)典型的なアメリカンスタイルです。時間を決め、1日おきに15分くらいの投げ込みをしていました。また日本のプロ野球は開幕ダッシュを重視しますが、ボビーはそれほど重視せずに、ピークをシーズン最後にもっていくという考え方だったので、序盤は無理をさせない起用法でした。僕にとっては、これが良かったと思っています」

 しかし西村の考え方は、ことトレーニングに至っては前任者とは対極に位置している。
「オレが監督になった以上はオレのやり方に従ってくれ」と強権を発動するのか、それとも徐々にギャップを埋めていくのか、その手腕に注目が集まる。

<この原稿は2010年2月21日号『サンデー毎日』に掲載されたものです>

◎バックナンバーはこちらから