とにかくトルシエに話を聞くことはできそうだと、ぼくは胸をなで下ろした。
「地元の記者に、トルシエのことを聞いてみようぜ」とマニュエルは、椅子にふんぞり返って煙草を吸っていた地元記者に話しかけた。
「なんでも聞いてくれってよ」
 マニュエルはぼくの方に振り向いた。

「ここマルセイユで、トルシエはどんな風に評価されているの?」
 地元記者は、強く煙草の煙を吐き出した。
「ゼロだ」
「ゼロ?」
「だってそうだろ? トルシエはアフリカや日本では結果を残したかもしれない。ただ、サッカーの中心はここ、欧州だ。欧州のクラブでも、代表でも何か結果を残しているか? トルシエがフランス時代にどんなクラブで指揮をとっていて、どんな成績だったかなんて、ここでは誰も知らない。全く知らないぜ」
 トルシエは、現役時代フランスの二部リーグでプレーする目立たないディフェンダーだった。
 28才で早々と現役引退し、指導者に転向。15才以下フランス代表監督を務めたあと、フランスのクラブチームの監督となった。しかし、その中に名の知れたクラブはない。
 トルシエが、多少でも世界的に名前を知られるようになったのは、アフリカのコートジボワールのクラブチームでリーグ3連覇を遂げてからだ。その功績を認められ、コートジボワール代表監督に就任した。
 この時から、周囲と軋轢を生むトルシエらしさを発揮している。
 協会と衝突し代表監督を解任。その後、ブルキナファソ代表監督として、アフリカネイションズカップベスト四、南アフリカ代表監督としてフランスW杯出場。アフリカでは「白い魔術師」と呼ばれるようになった。
 そして、2002年W杯に出場する日本代表監督に就任した。予選免除で日本代表は本大会に出場し、グループリーグを突破し、ベスト16に進出した。開催国として面目を保ったといういう意味で、トルシエは評価されてもいい。

 ただ、地元記者の言うように、彼の経歴に、欧州での成果は一つもない。
「トルシエの力を知るには、今のロエームの成績を見ればいい。負けが込んでいるだろ? だいたい、あいつが連れてきた日本人のナカータ(中田浩二)はなんだ? イタリアにいるナカータ(中田英寿)はいいけど、もう一人のナカータはさっぱりだ。あのナカータのプレーを見て、トルシエの目を信用しろっていうのかい?」
 2005年1月、鹿島アントラーズとの契約切れを待って、中田浩二はトルシエが監督となったロエームに移籍した。まだ、期待に見合う活躍をしているとは言えなかった。
「ロエームは、フランスを代表するクラブだ。ナカータは悪い選手ではないかもしれない。ただ、ロエームのレベルに相応しいとも思わない」
 会見場に人が集まってきたと思うと、選手が現れ、記者会見が始まった。
 選手が去り、黒色のスーツに白いシャツを着たトルシエが現れたのは、予定より1時間半以上遅れた12時半過ぎだった。
 

 スポーツメーカーなどスポンサー企業のロゴが入ったボードの前に木のテーブルが置いてあり、トルシエが現れると自然と質疑応答が始まった。
 ぼくの耳元でマニュエルが、記者とトルシエのやり取りを逐一スペイン語に翻訳してくれた。
 まずはフランス代表ゴールキーパーのファビアン・バルテズのことが話題となっていた。2月、バルテズはモロッコのクラブチームとの親善試合で、主審の胸につばを吐き、6カ月の出場停止処分を受けていた。
 さらに最近のロエームが勝ちに恵まれないことに話題は移っていった。
 ぼくが驚いたのは、地元記者の態度だった。
 先ほど話をした記者はやはり、椅子に浅く腰掛け、足を組んでふんぞり返りながら、ペンを振り回して質問していた。日本では考えられない。
 日本代表時代、トルシエはしばしばプレスと問題を起こした。記者会見は喧嘩さながらということもあった。ところが、ここではトルシエは低く穏やかな声で話している。厳しい質問に対しても、笑顔で答えていた。とてもあのエキセントリックな男と同一人物だとは思えなかった。
 そのことをマニュエルの耳元で囁くと、当たり前だと言った。
「ここでプレスに嫌われたら最後、こてんぱんに叩かれる。いくらトルシエでもマルセイユの記者を敵に回すようなことはしないよ」

 しばらくすると、質疑応答が途切れた。トルシエは首を左右に回して、質問者を捜した。
 そのとき、マニュエルが手を挙げた。
「ここに日本から来たジャーナリストがいるんだ。日本についての質問をしてもいいかい?」
 トルシエはぼくの顔をじっと見ると、冗談交じりに返した。
「いいよ。ただ、一つだけだ」
 ぼくたちは、まずトルシエを褒める質問から入るように打合せをしていた。
「あなたは、日本で数多くの若手選手を育てて来た。あなたの後を引き継いで、日本代表監督となったジーコはその遺産に手を出して、今使い果たしつつある、なんて言う人もいる。それについてあなたはどう思いますか?」
 フランスの記者たちはぼくとマニュエルの方を向いた。
「いや、そんなことはないよ。今も日本には才能ある若い選手が沢山いる。フランスの国際大会などに日本の若年層の代表が参加して、以前から好成績を収めている。日本人は元々技術があった。それに加えて今では、戦術を理解し、フィジカルが備わってきた。サッカーをきちんと教えられるいい指導者が増えていることも大きいね」
 意外にまともな答えだった。

 そしてトルシエは続けた。
「で、次の質問は?」

(Vol.4へつづく)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年1月28日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに3月『辺境遊記(仮)』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行予定。




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