マニュエルは、用意した紙を急いで広げると、打合せ通り順番に聞いていくよという風にぼくをちらりと見た。
「では、トルシエ監督。次の質問をします。日本代表監督時代、あなたは規律を決めて選手をまとめようとした。ご存じかどうか分かりませんが、現監督のジーコは選手に自主性を与えています。それについての意見を聞かせて下さい」

 トルシエは、遠くを見ながら、質問を聞いていた。
「ジーコのやっていることは正しいと思うよ。私が日本代表を率いたとき、海外でプレーていたのは、一人しかいなかった」
 1998年フランスW杯の後、中田英寿がイタリアへ移籍。三浦知良がジェノアでプレーして以来のことだった。
「当時の日本の選手には様々な事を教えなければならなかった。サッカーの世界には不可欠なことを、日本人選手は知らなかった。
 例えば、守備で振り切られたとき、相手のシャツを引っ張ってファールをしてでも止めること。あるいは、能力の高い相手と対峙したとき、足を踏んで慌てさせること。こうした世界のサッカー強豪国の選手ならば普通にやっていることができなかった。また、当時の日本人選手は試合の流れを理解する能力が低かったので、教えることが沢山あったんだ。
 しかし、今、日本代表の選手で海外でプレーしているのは何人いる?」
 この時点で、欧州リーグでプレーしていたのは、このマルセイユに所属する中田浩二、中田英寿、松井大輔、小野伸二、稲本潤一、川口能活など10人を超えていた。
 トルシエは自慢げに話を続けた。
「2002年日韓W杯で日本代表が活躍したことで、日本人選手に対する門戸が開かれた。彼らは欧州に来て、サッカーを学んだ。そんな選手たちを集めれば、自由を与えても問題ない。また、Jリーグの監督の能力もずいぶん良くなった。リーグ自体のレベルも改善されている」
「なるほど」
 マニュエルは、もっともらしく相づちを打った。
「だから、今、日本代表の監督をすることは私の頃に比べたらずいぶん楽なはずだ」
「選手のレベルが上がったから、だね」
「そうだ。そして、もう一つは選手を招集できる時間が増えた。私の頃は、一年間に百日が限界だった。FIFA(国際サッカー連盟)のルールが改正されて、大会や親善試合のずいぶん前から選手を招集できることになった」

 ぼくはフランス語が余り得意ではないが、トルシエのこの部分の発言には、おかしな部分があることに気がついた。
 年間百日といえば、約三分の一である。それだけの期間、選手を拘束することは事実上不可能である。トルシエがやっていたはずもない。
 ジーコは、トルシエよりも選手招集に苦労していた。
 トルシエの言うように、欧州リーグでプレーする選手が増えた。日本で強化試合を組むと、彼らは飛行機に10時間以上乗って戻ってこなければならない。リーグの合間に日本に戻ってくることは、体調に差し障りがあると考える各クラブを説得しなければならない。
 そのため、日本サッカー協会は、欧州リーグ所属選手のため、欧州でマッチメイクしていた。トルシエの時よりも、選手を集めて練習する時間はさらに限られていた。

 そろそろ、まとめに入らなければとマニュエルは感じたようだった。
「日本のあなたのファンにメッセージを」
「フランス人として初めて、日本代表監督になったということは、日本の人に強烈な印象を残したと思っている。私は日本が大好きだ。日本に対して私の印象は素晴らしくいい。日本のサポーターも良かった」
「もし再び日本代表の監督就任の誘いが来たらどうしますか」
「明日にでも行くよ」
 部屋のあちこちから失笑が聞こえた。此処で結果を出していないのに、何を言っているのだという冷たい笑いだった。
「日本代表監督として、次のW杯、2006年ドイツ大会に出たいからね。可能なかぎり早く日本にかけつけるつもりだ」
「では、最後の質問。今、日本代表は予選で苦戦しています。なにが一番足りないと思いますか?
「足りないのは、“白い魔術師”だろうな」
 白い魔術師——つまり、トルシエ自身のことである。
「ありがとう」
 ぼくは立ち上がり、礼を言うと、トルシエは片手を挙げて、早足で会見場から出て行った。

「ちょっと、いいかい?」
 会見前に話を聞いた地元記者がぼくに声を掛けた。
「もちろん」
「以前、トルシエからこんな話を聞いたことがある。自分は日本では非常に愛されており、日本人になりたいぐらだと言う。本当なのか?」
 マニュエルが質問を訳してくれたのを聞きながら、ぼくは笑いをこらえなければならなかった。
 日本の記者会見では、常にメディアとの間に緊張した雰囲気が流れていたことを伝えた。
「トルシエが日本代表に戻ってきて歓迎する人はわずかだろうね。日本人はフランスと言えば、映画やファッションという文化の国という印象があった。フランス人男性は知的で紳士であると思われていたんだ。トルシエは、フランス人の印象を変えた。此処には知的で紳士もいるけれど、ぼくはそうでない人も良く知っている。彼はフランス人の正しい姿を伝えたという功績はあったと思うよ」
 マニュエルが、ぼくの言葉を翻訳すると、周りの記者たちも笑った。
 マルセイユまで来て確かめたのは、トルシエは相変わらず自信家で変人なことだった。

(おわり)


田崎健太(たざき・けんた)
 ノンフィクションライター。1968年3月13日京都市生まれ。早稲田大学法学部卒業後、出版社に勤務。休職して、サンパウロを中心に南米十三ヶ国を踏破。復職後、文筆業に入り著書多数。現在、携帯サイト『二宮清純.com』にて「65億人のフットボール」を好評連載中(毎月5日更新)。2010年2月1日『W杯に群がる男達−巨大サッカービジネスの闇―』(新潮文庫)を刊行、さらに4月『辺境遊記(仮)』(絵・下田昌克、英治出版)を刊行予定。




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