「DHの選手がチーム最高の年俸を取っているのはおかしい。打って走って守ってこそ一人前の選手なんです」
 かつて、こう語ったのは西武監督時代の広岡達朗だ。田淵幸一を指した言葉だった。

 これに反発した田淵は減量して開幕からしばらくはファーストのポジションを守った。
 途中でDHに戻ったが、前期優勝の立役者となり、プロ14年目で初めて“勝利の美酒”を味わった。

 日本球界においては未だに「DHは半人前」とのイメージが強い。それについては海を渡って8年目の松井秀喜(エンゼルス)も同じ考えのようだ。
 彼は自著「信念を貫く」(新潮新書)でこう述べている。

<あくまでも僕個人の意見ですが、やはり野球というのは守備についていた方が自然に試合に入れると思います。
 守って、ベンチに戻って、打席が近くなったらネクストバッターズサークルに入って、打席を迎える。これが自然の流れです。グラウンドから離れる瞬間がないので、球場に流れている空気を常に感じていられます。
 DHの場合は、準備をするために一度ベンチの後方に行かなければいけません。再びグラウンドに戻ってきたとき、パッと同じ空気に入っていかなくてはいけない。このへんのコントロールは非常に難しいものがありました。>

 打って走って守る――。それが野球選手というわけだ。
 もちろんレフトのポジションを守れるのはヒザのコンディションがいい時に限る。
 松井の場合、ヒザに時限爆弾を抱えているようなものだから、これが爆発してしまったらどうしようもない。チームに迷惑をかけるだけでなく、自らの現役人生に赤信号が灯ってしまう。
「“やるぞ”という意欲だけで突っ走れる状態ではありません」
 と松井。これだけ自分のことを知っていれば、こちらが余計な心配をすることはあるまい。

<この原稿は2010年4月19日号『週刊大衆』に掲載されたものです>

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