第6回 鉄人たちを支える技術力


トライアスロンで行なわれる3種目の中でも戦略上、「スイム」が重要視されている。長距離を泳がなければならないトライアスロンでは、泳力で実力差がつきやすい。トライアスロンに挑戦する選手の多くが水泳競技からの転向組であり、スイムを制するものがトライアスロンを制するとも言える。このスイムでは距離区分や競技カテゴリーにより細かい規定があるが、水温がおよそ20度以上では水着の着用が義務付けられる。そして20度以下ならばウェットスーツの着用となる。
速さの追求
ウェットスーツという言葉を耳にすると、まずサーフィンやダイビングなどマリンスポーツを思い浮かべるだろう。しかし、トライアスロンにおけるウェットスーツは、マリンスポーツで用いるものとは根本的に異なる性能が要求される。それは「速さ」だ。トライアスロンのウェットスーツは厚みが5ミリ以下という制限があり、この規定内で選手の潜在能力を最大限に引き出すスーツや素材開発の競争が繰り広げられている。世界トップの技術力を誇る山本化学工業の製品の強みは「親水性」と「浮力」にある。
ウェットスーツには優れた技術が応用されている。それは同社の独自技術である“SCS(スーパーコンポジットスキン加工)”だ。通常のラバー素材は水を弾く撥水性だが、SCSを活用したウェットスーツは世界で初めて親水性を実現させている。これによりスーツ表面の摩擦抵抗を0.0029dcf(学識試験法)にまで下げ、驚異の低抵抗素材を生み出した。通常のスーツ素材の表面抵抗は4.0cdfというから、その数字がいかに突出しているかがわかる。
仮にSCS加工を施されたウェットスーツで100メートルを泳いだとしよう。通常の水着を着用した記録を比較すると、およそ5秒以上速く泳ぐことが可能になり、ストローク数では2から4ストローク少なくなる。100メートルでこれだけの差を生むのだから、長時間、長距離を泳ぐトライアスロンでは決定的な差になる。このウェットスーツを着用して泳いだアスリート達は、口を揃えてこう述べる。「手足を動かさず飛び込んだだけで、違いが実感できる。まるで水の上を滑るようだ」。技術の高さでハイパフォーマンスを支えることも重要だが、用具の効能を選手たちが実感することも大切だ。この感覚が選手の安心感につながり、さらに好記録をアシストする。
抵抗を極限まで小さくできるのは、ラバー表面に水中のみで水分子を配列する技術だ。これは以前紹介した高速水着誕生の大きな決め手ともなっている。水分子を配列することにより、ラバーの表面をぬるぬるした肌さわりに変え、抵抗を激減させているのだ。ではこの技術はどのような発想から生まれたのか。同社の山本富造社長は「自然界をヒントにした」と事もなげに答えた。
「自然の中で進化したものには、そのような形を作る明確な理由があります。なぜ魚はぬるぬるしているのか。その状態になるまでには長い年月を経ているのですから、究極の機能を有しているのです。それをウェットスーツに応用しました。魚のぬるぬるした部分を顕微鏡で調べることから始まり、現在の技術に至ったのです」
抵抗をなくし、熱を逃がさない

「体を浮かせるものといえば、魚にとって浮袋。人間にはないものだから、スーツの中にそれを作り出すしかない」
山本社長のアイディアは至ってシンプルだ。しかし、言うは易し行うは難し。厚さ5ミリの素材の中で、どのようにして浮袋を潜ませるのか。ここにも同社独自の技術が存在する。
浮力の秘密は三層構造にある。中間層のラバーはエアロドーム型のラバーになっており、無数の円柱形の孔が施されている。それを両側のラバーで挟みこむことで、中間層をそのまま浮袋にしてしまったのだ。全身を浮袋で覆っているようなものだから、優れた浮力を生み出すことはいうまでもない。
この素材は浮力だけでなく、保温効果にも優れている。体温を奪われればアスリートの筋肉は硬くなり乳酸が溜まって疲労度が増す。それを防止するために、水中で空気のバリアを作り熱が逃げることも防いでいるのだ。
「このスーツは、速く泳ぐことと疲れにくいことを実現しています。この水着で鉄人レースに挑戦してみようと考える方が出てくださればいいですね」と山本社長。世界最速のウェットスーツは、トップアスリートからビギナーまで幅広い層の鉄人たちの大きな力となるに違いない。
山本化学工業株式会社
