「サクラバのパンチは思っていた以上に強かったよ。ちょっと驚いたね。でもプラン通りの闘いはできた。いまの自分の力を十分に出せたよ」
 5月29日、さいたまスーパーアリーナで開催された『DREAM.14』で桜庭和志と対戦、3−0の判定勝利を収めた後、ハレック・グレイシーは晴れやかな表情で、そう話していた。はにかみを含んだ笑顔は7年前と変わっていなかった。
(写真:DREAM初参戦となった2008年6月の試合ではガジエフ・アワウディンを腕ひしぎ十字固めで破った)
 ハレックは、ヒクソン、ホイスらの兄であるホリオンの息子であり、“グレイシー第3世代”と呼ばれている。そんな彼に私が初めて会ったのは2003年1月だった。当時17歳で腰に巻かれている帯の色は、まだ青だった。

 ハレックには2人の兄がいる。ヒーロン(長男)とヘナー(次男)。この2人は、ハレック(188センチ)以上に背が高く、身長は190センチ以上あり、性格が明るいというか、常ににぎやかだった。よく喋るし、口調も挑発的。だが、ハレックは2人の兄とは違い、物静かな雰囲気を漂わせていた。

 その03年1月に、ロサンゼルス郊外の街トーランスにある『グレイシー柔術アカデミー』を訪ねた時、私は3人に同じ質問をした。
将来、どんなタイプのファイターになりたいのか? 一族の中で憧れているのは誰か、と。

 ヒーロンとヘナーは同じように答えた。
「ホリオン、ヒクソン、ホイス……皆を尊敬している。各々の良いところを集めたような選手になりたい。その自信はあるよ」と。

 だが、ハレックは2人の兄とは違うことを言った。
「僕はヒクソンの闘い方が好きだ。ヒクソンのような勇敢なファイターになりたい」
 そして続けた。
「ヒクソンの闘い方は、とてもシンプルなんだ。でも自分の技に絶対の自信を持っている。だから、どんな展開が訪れても臆することはない。僕もそんな闘いができるようになりたい」

 カメラの前に立ち、ファイティングポーズをとる時、ハレックは、いまもヒクソンを真似て拳を前に突き出している。桜庭と闘った時も、その構え方をしていた。ヒクソンに対する憧れは、いまも変わっていないようだ。

 時代は流れ、グレイシー一族が誇った柔術テクニックは広く知られるようになった。現在では、多くの総合格闘技ファイターが柔術を身につけている。グレイシー柔術は既に世界に認知された。その時点でヒクソン、ホイスらの闘いは終わったのである。
 
 これからの“グレイシー第3世代”は、一族の威信を賭けるのではなく、個人のファイターとして闘っていくことになる。
「まだ自分が完成されたファイターだとは思っていない。これから経験を積む必要があるし、学ぶことも多くあると思っている」
 そう謙虚に話すハレックの名前の由来を以前、ホリオンから聞いたことがある。ハレック<Ralek>は、アラビア語の<Malik>、英語にすると<King>……。王様、百獣の王のように勇敢に生きてほしいとの願いを込めてつけた名前だそうだ。

 ホリオンは、ハレックが8歳になった時、彼に初めて『第1回UFC(ジ・アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ』のビデオテープを見せた。その時、ハレックは言ったそうだ。
「お父さん、いつ僕ら子供のためのトーナメントは開かれるの?」と。
 近い将来、ミルコ・クロコップ、そしてエメリヤーエンコ・ヒョ―ドルと闘う彼の姿を観たいと思う。
 
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近藤隆夫(こんどう・たかお)
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌をはじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイシー一族の真実〜すべては敬愛するエリオのために〜』(文春文庫PLUS)ほか。最新刊『情熱のサイドスロー〜小林繁物語〜』(竹書房)が好評発売中。
連絡先=SLAM JAM(03-3912-8857)
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