宇高幸治が野球を始めたきっかけは3つ上の兄の影響だった。地元の小学校で軟式野球チームに入った兄の後をいつも追いかけていたという。当時、宇高はまだ4歳。父親いわく「わんぱくな子どもだった」。野球の何が面白かったのかは、正直言ってわからなかった。しかし、小学生が練習しているグラウンドで、飽きずにボールを追いかけていた。そして、いつしか自然と野球にのめりこんでいった。
 小学2年になると、宇高はチームの練習に参加するようになった。本来はまだチームには入ることはできない年齢だった。だが、宇高の野球センスは既に同級生の中では群を抜いていたのだ。
「自分はあまりよく覚えていないんですけど、母親からこんな話を聞いたことがあります。2年生の時に練習試合に出させてもらって、1イニングだけだったんですけど、サードを守ったんです。そしたら偶然にもサードにゴロとフライが飛んできて、二つともちゃんと処理したらしいんです」
 相手打者はもちろん宇高よりも体格の大きい上級生。しかもサードといえば強い打球が飛んでくるポジションだ。それを本格的に野球を始めたばかりの子がソツなくアウトにしたというのだから、非凡なセンスを感じずにはいられないエピソードである。

 宇高が最も大きな影響を受けたのが、父親だ。自ら野球一筋の人生を歩んできた父・隆は、息子二人に野球の基礎を教えた。それは親子のコミュニケーションでもあったという。
「自分自身、野球をやってきたことでいろいろと経験することができたし、鍛えてもらったと思っています。だから、子どもたちにも野球を通して心身ともに成長してほしいという思いがありました。野球は私たち親子にとっては、いいコミュニケーションの手段でもありました」

 社会人まで野球を続けた父親の指導は、厳しいものだった。毎日、学校から帰ると、兄と一緒にベランダで素振りの練習を課せられた。
「父が僕たちの目の前で腕組みをしながら見ているんですよ。いなかったら、手を抜くこともできたんでしょうけどね(笑)」
 1階のスペースにはバッティングができるように網が張られていた。全て父・隆の手づくりだ。宇高にとって野球の原点であるその場所で、来る日も来る日もバットを振り続けた。それは高校卒業まで続いた。

 小学生の時は野球は「楽しい」というよりも「厳しい」ものというイメージがあったという。それでも続けたのは、試合で勝った時の喜び、そして勝つことで得られる「父親の指導は間違っていない」という信頼があったからにほかならない。
「父に口を酸っぱくして言われたのは、基本を大事にすること。基本を怠ったら、それ以上のプレーはできないということを今でもよく言われます。よくフォームにクセがないと言われるのですが、僕のバッティングは父親につくられたものだと思います」

 4年の時には既に肩の強さなら上級生にも負けなかった。その強肩を買われ、5年の時にはピッチャーに指名された。「エースで4番」。さらには6年時にはキャプテンにも抜擢された。学校で陸上大会に借り出されても、60メートル走、ソフトボール投げで県で優勝と、運動能力の高さを遺憾なく発揮した。 

 中学校では軟式野球部に入った。入学当初から主力としての活躍が期待されたが、その年の夏、突然右ヒジが悲鳴をあげた。
「守備練習でショートのポジションに入っていました。外野からの球を受けて、バックホームをしようとした時、いきなり右ヒジがバキッという音をたてたんです。もう、それからは全く投げることができませんでした。手術しようか迷ったんですけど、やっぱりメスを入れるのはよくないなと思ってやめました。その代わり、完治するのに時間はかかりましたね。約1年間、ノースロー。筋力トレーニングやランニング、それと軽い素振りだけやっていました。もう投げたくてムズムズしていました。本当に長かったです」
 それでも復帰すると、すぐさまレギュラーとして活躍した。2年時の夏、秋には地区大会優勝にも大きく貢献。3年時にはキャプテンとしてチームを牽引した。

 当時の様子を父親はこう語る。
「体格もいい方だったので、投げることも、打つことも、幸治は小学生の時から他の子よりも抜きん出ていましたね。でも、このままいくとは思ってはいませんでした。他の子もどんどん成長してきますからね。ところが、中学でも高校でも幸治はほとんど壁にぶち当たることなくスムーズに伸びていきました。さすがに親の私でもこれには少々、驚いています」

 父・隆が息子の実力を思い知らされたことがある。中学最後の大会を終え、宇高が父親が指導する硬式のチームに入っていた時のことだ。ある週末、同じ愛媛の川之江市内と高知県土佐市の2チームと練習試合をした時のことだ。会場は高校野球の予選にも使用される今治市営球場。両翼91メートル、中堅115メートル。その球場で宇高は3試合で5本ものホームランを放ってみせた。しかも、全て場外だったというのだ。さすがの父親も度肝を抜かれたという。
 彼の名が全国に知れ渡ったのはそれから3年後のことだった――。

(最終回につづく)

宇高幸治(うだか・こうじ)プロフィール>
1988年4月5日、愛媛県今治市出身。小学2年から日吉少年野球クラブで野球を始めた。今治西高では1年夏からベンチ入りし、同年秋より4番に抜擢される。3年時にはキャプテンとしてチームを牽引。夏の甲子園ではベスト16入りを果たし、自身も2本のホームランを放った。高校通算本塁打数は52本。進学した早稲田大では1年春からベンチ入りし、レギュラーに定着した2年春、秋にはベストナインに選出された。今春、慶應大との優勝決定戦では公式戦初ホームランを放った。







(斎藤寿子)
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