巨人V9戦士でオリックスの監督も務めた土井正三さんが世を去って、9月25日で一周忌を迎える。
 東京都内の自宅での闘病生活。リクライニング式ベッドに体を横たえた土井さんは約束の時間が過ぎても、語り続けた。頬は随分こけていたが眼光は異様に鋭く、口調には鬼気迫るものがあった。私には「球界への遺言」のように感じられた。
 土井さんといえば玄人受けする二塁手だった。少年の日にテレビで観た土井さんの“頭脳プレー”は未だに忘れられない。
 一塁走者が盗塁を企てる。キャッチャーが送球する。二塁のベースカバーに入った土井さん、あろうことかランナーの足に空のグラブでタッチしてからワンバウンドのボールを目にも留まらぬ早業ですくい上げたのだ。しかし塁審の判定はアウト。スローモーションによるリプレーが“犯行”の一部始終を映し出していた。

 なぜ巨人はかくも強かったのか。土井さんの説明が振るっていた。「それは僕たちは家族ぐるみで戦っていたからですよ」「家族ぐるみ?」「僕らの時代はテレビ中継の時間が短く、1試合で2打席しかテレビに映らなかった。それを女房たちが夕飯の支度をしながらビデオに収めていたんですよ。こういうことをやっていたのは当時は巨人だけでした」。ビデオデッキが普及する前から巨人の選手たちは文明の利器を家庭に導入していたのだ。“銃後の守り”ならぬ“銃後の攻め”である。「でも今は違いますね。たとえばランナーが一塁に出ると、必ず一塁コーチが何か耳打ちしている。あんなのおせっかいですよ。ピッチャーの配球はすべてスコアラーが調べ上げる。これも過剰サービス。至れり尽くせりではチームは強くなりません」

「僕は巨人に提案したいことがあるんだ」。しぼり出すような声で土井さんは続けた。「8月15日、つまり終戦記念日だけは漢字の背番号と『巨』のマークで試合に臨んでみてはどうか。戦時中、英語はもちろん、洋数字も禁止された。野球界にとっても不幸な時代でした。それを風化させないためにも、そして全国に平和のメッセージを発信するためにも一年に一度、戦時中のユニホームを着た試合をしてもらいたいんです」。土井さんの提案が、いつか大きなうねりとなり、実を結ぶことを祈っている。

<この原稿は10年9月15日付『スポーツニッポン』に掲載されています>
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